久津良(読み)くつら

日本歴史地名大系 「久津良」の解説

久津良
くつら

高岡麓の辺りをさす古い惣名とされる(高岡名勝志)。応永年間(一三九四―一四二八)穆佐むかさ城の島津久豊島津元久と対立した際、久豊とそれを援助した伊東祐安の率いる大軍が、あや(現綾町)飯田いいだ・久津良などの要害の地に陣したという(「島津元久譜」旧記雑録、「西藩野史」)。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳には、宮崎郡のうちに「久津良」六町がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の久津良の言及

【高岡[町]】より

…東は宮崎市に接し,中央部を大淀川が東流,川沿いに国道10号,268号線が通じる。古くは高岡地区は久津良,穆佐(むかさ)地区は六笠といわれ,島津・伊東両氏に交互に領有されてきたが,近世は島津氏の支配下にあり,高岡城が築かれ,去川(さるかわ)には関所が置かれた。現在は農業が主産業で,畜産をはじめミカン,米,タバコなどを産するが,特にミカン栽培は県内で最も早く始まり,生産高も多い。…

※「久津良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」