島津久豊(読み)しまづ ひさとよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津久豊」の解説

島津久豊(1) しまづ-ひさとよ

1375-1425 室町時代武将
永和元=天授元年生まれ。島津氏久の子。島津氏8代。応永18年兄元久の死後,薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の守護職をつぐ。24年元久の岳父伊集院頼久と総州家島津氏の連合軍に敗れたが,翌年頼久を服属させる。29年総州家の島津守久を破り,奥州家島津氏の支配権を確立した。応永32年1月21日死去。51歳。通称は次郎三郎。

島津久豊(2) しまづ-ひさとよ

?-? 織豊時代の武将。
島津義久につかえる。天正(てんしょう)14年(1586)豊臣秀吉九州攻めの先鋒(せんぽう),長宗我部信親(ちょうそかべ-のぶちか)を豊後(ぶんご)(大分県)の戸次(へつぎ)川で討つ。文禄(ぶんろく)・慶長の役では島津義弘にしたがって朝鮮に出陣した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島津久豊の言及

【大隅国】より

…旧国名。隅州。現在の鹿児島県の一部。鹿児島湾奥の海岸部と内陸部,大隅半島部,半島西南海上の種子島・屋久島等の島嶼部の三つからなる。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,熊襲(くまそ)・隼人(はやと)の根拠地とみなされていた。割拠の豪族として大隅直(あたい)や曾君(そのきみ),加士伎県主(かしきあがたぬし),肝衝(きもつき)などの名があり,大隅隼人の首領大隅直の地盤と目される半島東南部肝属(きもつき)川一帯に高塚式古墳が少なくない。…

【薩摩国】より

…旧国名。薩州。鹿児島県西半部。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。大隅国と同じく日向国より分出し,合わせて南九州の三国,奥三州などと呼ばれた。《日本書紀》白雉4年(653)7月条に〈薩麻之曲竹島之間〉とみえ,《続日本紀》大宝2年(702)8月条に薩摩・多褹(たね)を征討し,戸を校(かんが)え吏を置く,10月条に唱更(はやひと)国司の言上で国内の要害に柵を建て兵を置くとあり,その説明に唱更国とは今の薩摩国府なりとあることから,このころ薩摩国は日向国より分出設置されたと思われる。…

【島津氏】より

…鎌倉時代から江戸時代まで南九州を領有した有力な大名。惟宗姓。のち藤原姓から源姓を名のるに至る。系図では初代忠久を源頼朝庶子,惟宗広言養子とするが,近衛家家司惟宗氏の出で京都から鎌倉に移り頼朝より厚遇をうけたものであろう。1185年(文治1)島津荘下司となり,翌年地頭に補任され,97年(建久8)には薩摩・大隅両国の家人奉行人(守護)に任命された。日向国についても同様であったらしい。1203年(建仁3)比企氏の乱で三国の守護・地頭職を失ったが,薩摩分のみはまもなく回復した。…

※「島津久豊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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