往来田(読み)おうらいでん

改訂新版 世界大百科事典 「往来田」の意味・わかりやすい解説

往来田 (おうらいでん)

賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(現,京都市北区の上賀茂神社)の氏人らが,同社周辺の諸郷において与えられていた給田。蔣池直一《南柯記》(1814)が鎌倉末期の神主賀茂経久の日記を引いて記すところでは,1303年(嘉元1)に始まるという。年齢順に140名までの氏人が,人別5反の田地を,境内六郷(上賀茂六郷)のうち小野郷を除く河上・大宮・小山・中村・岡本の5郷に各1反ずつ支給されるのが原則であった。この田は罪科による闕所などの場合を除き終身用益を認められ,死去の際社中に返還,新たに従来受給資格のなかった〈無足〉の氏人のうちから,年齢次第に受給者が定められた。往来田の称は,このように田地が社中と氏人との間を往来するところから生じたとされている。氏人は往来田を受けるかわりに一定の社役を勤仕した。太閤検地によりほぼ河上・大宮両郷域相当の社領が削減されたため,往来田制も当然影響をうけたが,改編のうえ明治初年まで存続した。
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世界大百科事典(旧版)内の往来田の言及

【賀茂別雷神社】より

…別雷社は賀茂氏人集団によって維持され,氏人のなかから神主がえらばれて祭祀と社領を管轄した。境内六郷には往来田制度がしかれ,氏人のうち140人が境内の田地を独特の割りかえ方式によってながく保持した。豊臣秀吉は2572石を安堵し,江戸幕府にひきつがれた。…

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