デジタル大辞泉
「河上」の意味・読み・例文・類語
か‐じょう〔‐ジヤウ〕【河上】
《古くは「かしょう」とも》
1 河の水の上。河の水面。
2 河の上流。かわかみ。
3 河のほとり。
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か‐じょう‥ジャウ【河上】
- 〘 名詞 〙 ( 古くは「かしょう」とも )
- ① 川の上。川の水面。
- [初出の実例]「身は河上に浮て独渡れども」(出典:海道記(1223頃)萱津より矢矧)
- ② 川の上流。かわかみ。〔日葡辞書(1603‐04)〕
- ③ 川のほとり。かわばた。また、特に黄河のほとり。
- [初出の実例]「草廬河上無二来客一、桂樹小山多二隠賢一」(出典:蕉堅藁(1403)次韻答肇太初見寄)
- [その他の文献]〔詩経‐鄭風・清人〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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河上
かわかみ
古代の礪波郡川上郷(和名抄)の呼称を継承するが、中世においては小矢部川上流部の河上十郷といわれる地域一帯をさす広域呼称として用いられる。この河上十郷は礪波郡一向一揆方の中心寺院井波瑞泉寺の与力である河上衆をさす表現で山田郷・弘瀬郷・太海郷・院林郷・吉江郷・直海郷・大光寺郷・石黒上郷・石黒中郷・石黒下郷の一〇郷をさす石黒庄地域に、さらに奈良東大寺領だった高瀬庄地域が加わっている。「天文日記」天文五年(一五三六)一一月五日条に「河上十郷」とみえ、高瀬庄地頭職を瑞泉寺内衆が買得したことにかかわり東大寺との相論があった。東大寺方の訴えを受けて一向衆方と協議したのは河内の畠山在氏および室町幕府の細川晴元政権を背景とする時の権力者木沢長政であるが、両者の和談が成立し、ほかの問題との兼合いもあるため、本願寺証如は木沢方代官の越中下向に対して便宜を図るよう北陸一揆方へ要望している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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