闕所(読み)けっしょ

精選版 日本国語大辞典 「闕所」の意味・読み・例文・類語

けっ‐しょ【闕所・欠所】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 欠けていること。足りないところ。また、不十分な点。欠。
    1. [初出の実例]「簡京諸寺僧心願者、補彼闕所」(出典:類聚三代格‐三・弘仁一二年(821)一二月二六日)
  3. 持ち主のない土地。また、特に中世に、罪を犯して没収されたり、訴訟によって改替されたり、あるいは知行者が死亡して幕府や領主が直接支配することになった所領をいう。闕所地
    1. [初出の実例]「闕所出来者、任供僧之例、可其半於新古」(出典:高野山文書‐建永元年(1206)七月日・金剛峯寺衆徒置文)
  4. ( ━する ) 中世、財産を没収すること。
    1. [初出の実例]「次郎入道かあとは、さうろんにつきて、けつ所になるへしといへとん」(出典:早稲田大学所蔵文書‐弘安二年(1279)二月五日・大江永茂名田請文)
  5. ( ━する ) 江戸時代の刑罰の一つ。追放以上の刑に付加される刑罰。その領地または財産などを官に没収すること。没収。藉没(せきぼつ)
    1. [初出の実例]「其つき候脇指成共、かたななり共御闕所候て、御通候へと申候」(出典:梅津政景日記‐慶長一七年(1612)三月八日)
  6. ( ━する )( から転じて ) 他人のものを取り上げること。
    1. [初出の実例]「後添はこそりこそりとけっしょをし」(出典:雑俳・川柳評万句合‐明和元(1764)信二)
  7. 穴のあいている所。欠け落ちている場所
    1. [初出の実例]「果然彼は墻壁(しゃうへき)の欠所に吶喊(とっかん)して来た」(出典:吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉一)

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改訂新版 世界大百科事典 「闕所」の意味・わかりやすい解説

闕所 (けっしょ)

戦乱,謀反,犯罪などによって没収された所領・所職,もしくはその没収行為をいう。

中世では戦闘の敗者の財産は勝者に,犯罪人の財産は警察権行使者の所有になるのが通例であった。源平合戦や承久の乱で発生した平家没官領や承久京方跡闕所,鎌倉幕府滅亡後の北条高時法師与党人跡闕所などは,勝者たる鎌倉幕府や建武政府の手に帰し,その一部は直轄領として,権力の経済的な基盤となった。一方平時の日常的犯罪によって発生した闕所は,原則的には犯人を直接追捕検断した者の所有となった。たとえば幕府の裁判で有罪となり没収された所領は当然幕府がこれを獲得したが,荘園内部の犯罪は警察権をもつ地頭や荘官が,少なくともその一部を与えられる権利をもっていた。承久の乱後新補された地頭が,いわゆる新補率法によって犯人跡闕所の3分の1を与えられることに定められていたのは有名である。地頭がこの権利をてこにして,荘園内部で不当な検断権を行使した例は多い。なぜ闕所が警察権行使者に給与されるのか,このことについての研究は皆無であるが,元来被害者の復しゅうや自力救済によって果たされていた犯人の処罰や賠償の取り立てを,代行する報酬として与えられていたものではないかと想像される。

 次に闕所の給与配分についていうと,闕所地は当然没収者の自由意志によって保持され,もしくは配分される。しかし少なくとも武士社会においては,その自由裁量を制約する慣習があった。ふつう闕所が発生すると,たちまちその地をめざして給与を希望する者が多く現れるのが常であり,鎌倉幕府は法令によって未断闕所への競望を禁止したほどであった。こうした御家人の要求は,その闕所地に対する特別の由緒を根拠とする場合がほとんどである。そのおもなものは,(1)その闕所地が自分の一族の跡地であるから,(2)被没収者の知行以前に自分もしくは祖先がその地の知行者(本主)であったから,の2点である。(1)の場合武士社会には一族地はあくまで一族が伝領すべきであって,他へ流出することを強く嫌悪する思想があり,なかには置文などでその旨を明記しているケースも少なくない。したがって一族所領に闕所が発生した場合,これを一族跡として給与されることを望むのは当然であり,幕府もこれを無視することはできず,現実にも多くの闕所地が被没収者の一族に給与されている。また(2)についても御成敗式目16条には,承久の乱の闕所地で,すでに他の御家人に給与ずみの地に対し,この地の本主と称して給与を望む者が多いことが記されているが,こうした主張は中世を通じて行われた。とくに北条氏によって所領を奪われていた旧知行人が,鎌倉幕府滅亡後本主としての立場からいっせいにその回復を求め,建武政府もそれを認めた闕所処分を法制化しなければならなかった。(1)(2)に少なくとも慣習的な力を与えているのは,土地の所有が売買や譲与などによって,いったんは移動しても,何かの契機があれば本来の所属にもどろうとする潜在的な復帰力を持つものと考えられていたことにあったと思われる。なお南北朝以降では分国内闕所の処分について守護の発言力が急速に強まり,領国制展開のための有力な支えとなった。
執筆者:

欠所とも書き,江戸時代,付加刑として他の刑罰にあわせ科せられた財産没収。私的に所持する財産を官没するもので,公的な支配権の召上げは改易(かいえき)と呼び区別した。《公事方御定書》によれば,鋸挽(のこぎりびき),磔(はりつけ),獄門,火罪,斬罪,死罪,遠島および重追放の諸刑には田畑,家屋敷,家財の取上げが,中追放には田畑,家屋敷の取り上げが,軽追放には田畑の取上げがそれぞれ付加される。これを欠所と称し,武士,庶民を通じて適用したが,扶持人の軽追放においてはとくに家屋敷のみの欠所とする。なお犯罪がもっぱら利欲にかかわる場合,江戸十里四方追放や所払(ところばらい)の刑にも田畑,家屋敷の欠所を用いる。《公事方御定書》はこのほか諸犯罪の各則中,財産没収を単独の,もしくは付加的な刑種に定めている。欠所の財産は入札に付され,その代金が官収となった。妻名義の持参田畑,妻子の諸道具や寺社付の品は処分の対象から除外されるものの,欠所には家族などの生計基盤を奪って,事実上集団的責任を負わしめる作用があった。もっとも,のちには運用面で取扱いが緩和されたという。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「闕所」の意味・わかりやすい解説

闕所
けっしょ

領有者のいない所領、所有者のない財産のことで、転じて中世・近世の財産没収刑、また没収された財産をいう。

(1)中世では、主人が従者の財産・地位を没収することで、おもに武家で行われ、収公(しゅうこう)・改易(かいえき)ともいった。鎌倉幕府から室町幕府の初期では、幕府が刑罰として御家人(ごけにん)の所領を没収すると、一族の者やその所領の前の領有者が給付を請求できた。室町幕府は闕所処分の決定権を守護にゆだねたので、守護が管国内の武士を被官化する一つの契機となった。実際は領有者があっても、敵対する政治勢力の側からみて闕所と称することもある。現に闕所となっている所領を、直前の領有者の名を付して何某跡(あと)ということがある。

(2)近世では一般庶民に対する死罪、遠島、追放などの刑罰の付加刑。重追放以上は田畑・家屋敷・家財が闕所とされた。

[羽下徳彦]

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百科事典マイペディア 「闕所」の意味・わかりやすい解説

闕所【けっしょ】

(1)中世では所領を没収すること。また知行者の欠けた土地。(2)江戸時代に庶民に適用された財産没収刑。欠所とも。死罪,遠島(えんとう),追放などの付加刑で田畑,家屋敷,家財が刑の軽重に応じて全部または一部没収された。武士の公的な支配権の召上げの場合は改易という。
→関連項目神崎荘倉月荘淀屋辰五郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「闕所」の意味・わかりやすい解説

闕所
けっしょ

土地家屋などの財産を没収すること。鎌倉時代には,御家人が罪科によって,領地を没収されたのちまだ他人に渡っていない土地をさしたが,単に知行人の欠けた土地もさすようになった。没収は一部の場合から全部に及ぶ場合まであり,当時唯一の財産源であった所領を没収される処分は御家人にとって脅威であった。江戸時代になると,闕所は庶民に対する死刑,遠島,追放などの付加刑として規定され,重追放には田畑,家屋敷,家財,中追放には田畑,家屋敷,軽追放には田畑の没収などとその罪の度合いによって軽重があった。なお武士に没収刑が適用された場合は,改易と呼んだ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「闕所」の解説

闕所
けっしょ

①鎌倉・室町時代,罪科などで所領を幕府に没収され,知行人のいない土地をさし,のち没収されること自体をいう
②江戸時代,庶民に対する刑罰の一つ
御家人にとって重大な刑罰で,没官領とほぼ同じ性質。
死罪・遠島・追放などの付加刑で家財没収のこと。なお,大名以下の武士の所領処分は改易といった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「闕所」の解説

闕所
けっしょ

(1)中世では,所領を没収すること。闕所地については,処分をうけた者の同族や旧知行主,あるいはその一族への給与がある程度社会的に認知されていた。(2)近世では,財産没収の刑罰。重罪で処罰された者に付加刑として科され,田畑・家屋敷・家財などが公に没収された。

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世界大百科事典(旧版)内の闕所の言及

【遠島】より

…武士,僧侶神職,庶民など身分を問わず適用され,武士の子の縁坐(えんざ),寺の住持の女犯(によぼん),博奕(ばくち)の主犯,幼年者の殺人や放火などに科された。死刑につぐ重刑とされ,田畑家屋敷家財を闕所(けつしよ)(没収)し,刑期は無期で,赦(しや)によって免ぜられたが,《赦律》(1862)によれば,原則として29年以上の経過が必要であった。全国に散在する幕府の奉行,代官の役所を近江を境に東西に分け,美濃以東の役所で判決した罪人は江戸小伝馬町牢屋に,近江以西の場合は大坂の牢屋に集めたが,長崎奉行だけは直接島に送った。…

【斬罪】より

…幕府の制度,慣習では江戸の北,千住小塚原(こづかつぱら)刑場で執行し,検使たる徒目付(かちめつけ),町奉行与力の立会いのもと,町奉行同心が罪囚の首をはねた。《公事方御定書》下巻によれば,財産没収処分(闕所(けつしよ))も付加される。武士の死刑として切腹ほどに身分的名誉を尊重した罰種ではなく,それよりは重かったが,死屍を様斬(ためしぎり)の用に供することはないなど,同じ斬首の刑ながら死罪の刑よりは軽いものとして,取扱いに差異があった。…

【中世法】より

…家督相続に際して,数人の子のだれを家督に選ぶか,財産を分割譲与するに当たって,相続人の選定,相続分の多少をどうするか,すべては被相続人の意のままであって,女子を家督に選ぶことも,幕府に忠勤奉公する長男を財産相続からはずすことも,ほとんど被相続人の自由であった。 次に,法の内容に立ち入っていえば,家業を継がせる目的で養子を迎える場合には,律令の規定で禁じられた身分の者でもかまわないとか,同様の目的で迎えられた養子は,律令の規定に反して,養父の遺産を独占的に相続することができるなどは,家業継承を第一義として,律令法を積極的に廃棄した公家法の典型的な事例であり,女子が父から譲り受けた財産が婚姻によって婚家に流れることを防ぐために,女子に対する財産譲与に一期分(いちごぶん)(死去の後は実家の惣領に返還する)の条件を付けるとか,妻が夫と死別した後で他家に再婚する場合は,前夫から譲られた財産を持参してはならないなどの制限規定や,罪によって没収された所領について,被没収者の同族・子孫には,後日(ときには数十年から100年に及ぶ長年月の後)これの再給付(返還)を求める権利が留保されている(潜在的闕所(けつしよ)回復権)とする法慣習などは,家産の流出・減少を防ぎ,ときにはいったん流出したものの再取得をも可能にする武家法の具体例である。
[団体維持の理念]
 第2の団体維持の理念については,さきにも挙げた商品関係の座法,芸能関係の座法,地縁共同体の掟,宗門・僧団の制規などに明らかなように,中世社会では団体への帰属意識が強く,勢い,団体の成員と非成員との間に厳然たる身分の壁を設けて(ときには,その中間に准成員の身分を設けることもあったが,その場合も准成員は成員身分に近く,非成員との間の身分の壁は厚かった),成員の特権を守ることによってその団体を維持しようとする傾向が強かった。…

【没収】より

…西洋では,全財産の没収は,すでにローマ法にあったといわれるが,とくに中世から近世にかけて広く行われた。日本でも,鎌倉・室町幕府に〈収公(じゆこう)〉,江戸幕府に〈闕所(けつしよ)〉という家産没収があった。明治維新後も,1870年(明治3)までは〈財産籍没〉が認められていた。…

※「闕所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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