改訂新版 世界大百科事典 の解説
アジーズ・アリー・アルミスリー
`Azīz `Alī al-Miṣrī
生没年:1878-1965
エジプト生れのアラブ民族運動指導者。1904年イスタンブールの軍事アカデミーを卒業し,マケドニアに配属される。そこで青年トルコ党の将校組織に参加。09年青年トルコ党革命がオスマン主義を顕在化させると,オスマン帝国内でのアラブ自治要求運動の組織化にとりくむ。イエメンのオスマン帝国からの自立化の実現やリビアの反イタリア民族闘争の高揚に助力する一方,14年〈カフターン会〉や軍人組織〈アフド(盟約)〉を結成,第1次大戦下のアラブ独立運動の中核部分を築いた。14年オスマン帝国スルタンによるアジーズ・アリー・アルミスリーの逮捕は,全アラブの反対にあい,同年釈放されエジプトへ帰国。第2次大戦期,軍最高司令官として対イタリア戦線へのエジプト軍配備を拒否し,また41年ドイツと協力して反英クーデタを企て,失敗。戦後エジプト革命を目ざす自由将校団内に多大の影響を与えた。
執筆者:藤田 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報