ウェイイ(読み)うぇいい(その他表記)Veii

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェイイ」の意味・わかりやすい解説

ウェイイ
うぇいい
Veii

古代イタリア中央部、エトルリアの都市国家。ローマ市の北約18キロメートル、現在のイゾラ・ファルネーゼに位置し、町は難攻不落の自然の要塞(ようさい)に囲まれていた。紀元前8世紀ごろから穀物生産、工芸品製作、塩業などで発展し、ティベリス川(現在のテベレ川河口に至るまでの広大な領域を支配して前6世紀中葉に全盛期を迎えた。早くからローマとかかわりをもち、前6世紀ローマのユピテル神殿の装飾を担当したのは、ウェイイの彫刻家ウルカVulca一派だったといわれる。前477年ウェイイ軍はクレメラ河畔の戦いでローマのファビウスFabius一族を破ったが、前437年ウェイイ王トルムニウスTolumniusはローマの将軍に討ち取られ、前396年ウェイイはカミルス麾下(きか)のローマ軍に占領された。征服後ウェイイ領はローマに併合され、その町は帝政期には廃墟(はいきょ)と化した。現在、神殿と墓の跡が残るだけであるが、神殿跡からはエトルリア美術の代表作アポロ像が出土している。

[平田隆一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のウェイイの言及

【エトルリア】より

…しかし前474年キュメ(クマエ)沖の海戦で敗れ,以後エトルリアは経済的に停滞に向かう。一方,内陸部においては沿岸地帯よりやや遅れてクルシウム,ウォルシニイ,ウェイイ等の都市国家が栄えた。クルシウムの王ポルセンナは前6世紀末に一時ローマを征服した。…

【ローマ】より

…前5世紀には北方のエトルリアの圧迫は続き,ラテン諸都市との戦争もあり,他方サビニ人アエクイ族ウォルスキ族など東方の山地帯に拠る諸種族のラティウム平原地帯への進出と戦わねばならなかった。世紀末にはこれらを押し返し,前396年には最強のエトルリア都市ウェイイを攻略した。ウォルスキ族との戦いでは英雄コリオラヌスの悲劇的伝説が生まれ,アエクイ族との戦いでは16日間だけ独裁官(ディクタトル)となって敵を破り,直ちにもとの農民の生活に戻ったというキンキンナトゥスLucius Quinctius Cincinnatusの物語が伝えられている。…

※「ウェイイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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