メキシコの外相G.エストラーダが1930年9月30日に発した宣言。外国政府に対する承認は,その誕生の経緯にかかわりなく自動的になされるべきことを主張した。これよりさき1907年,エクアドルの外相C.トバールは,西半球の議会制民主主義を育てるために,革命によって生じた政府は立憲体制に復帰するまで承認すべきでないとする,いわゆるトバール・ドクトリンを発表し,アメリカはこれにならって1910年に始まるメキシコ革命の際に,15年まで不承認政策を続けた。メキシコの革命政府は不承認政策を内政干渉として強く反発した。エストラーダはこの苦い経験から,30年にペルーやアルゼンチンなどで軍事クーデタが続発すると,事実上の政府の自動的承認を唱え,内政干渉に強く反対したのである。また,メキシコ政府は64年の米州機構決議にもかかわらず,キューバと断交しなかったが,一方,79年6月,当時のニカラグアのソモサ政府と国交を断絶して反ソモサ運動を鼓舞したように,必ずしもこの宣言を忠実に実行してきたわけではない。
執筆者:松下 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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