オスロエネ王国(読み)オスロエネおうこく(その他表記)Kingdom of Osroëne

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オスロエネ王国」の意味・わかりやすい解説

オスロエネ王国
オスロエネおうこく
Kingdom of Osroëne

北西メソポタミアに存在した古代の王国。チグリス,ユーフラテス両川の間,現トルコとシリアの境界線上に位置した。首都はエデッサ (現トルコのウルファ) 。オスロエネの名は前 136年頃王国を創始したオルハイのオスロエスに由来する。彼はイラン人であったらしいが,その後王家はアラブ人の手に移った。軍事,交易要衝に位置し,前1世紀から2世紀頃にかけてはローマとパルティアとの戦いの間に立って勢力を保ったが,116年にローマのトラヤヌス帝がメソポタミアに遠征した際,オスロエネ王アブガル2世が廃位され,ローマの臣従国となった。その後,216年にカラカラ帝がエデッサを占領し,王国自体を滅ぼした。オスロエネ地方は 608年にはササン朝ペルシアホスロー2世に,638年にはイスラム教徒に占領された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む