改訂新版 世界大百科事典 「ホスロー2世」の意味・わかりやすい解説
ホスロー[2世]
Khosrō Ⅱ
ササン朝ペルシアの王。在位590-628年。パルウィーズ(〈勝利者〉の意)の名で知られる。ホスロー1世の孫で,ホルミズド4世の子。590年,将軍ワラフラン(バフラーム・チョービーン)が反乱を起こすと,母の兄ウィスタームはホルミズド4世を廃してホスローを即位させた。ワラフランが王位を奪(さんだつ)したので,ホスローは東ローマ帝国に逃れ,マウリキウス帝の援助を得て,翌年クテシフォンに戻ることができた。その後,ウィスタームも王を称して東イランに独立したが,数年後には秩序が回復された。602年,フォーカスがマウリキウスを倒して帝位に就くと,東ローマに対して開戦した。ペルシア軍はシリアを攻略し,エルサレムを占領して聖十字架を奪い(614),小アジアではコンスタンティノープルの対岸に達し,619年にはエジプトを征服した。610年に新王朝を開いたヘラクレイオス帝は622年に反撃に転じ,628年にはクテシフォンに迫った。和平交渉を拒否したホスローは将軍たちの反乱にあって退位し,まもなく殺された。なお,愛妾シーリーンとのロマンスは後代イラン文学の好題材とされ,ニザーミーの叙事詩《ホスローとシーリーン》はとくに知られている。
執筆者:佐藤 進
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