ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オボイ」の意味・わかりやすい解説
オボイ(鼇拝)
オボイ
Oboi
[没]康煕8(1669)?
中国,清初の満州人政治家。グワルギヤ氏出身の 鑲黄旗満州旗人。開国の功臣フイヨンドン (費英東) の一族。太宗のときにニルジャンギンであり,ドルゴンのもとで軍功を立てたが,順治帝の親政とともに重用され議政大臣となった。順治9 (1652) 年に二等公となり,帝が没すると遺詔によって幼い康煕帝の輔政四大臣にソニン (索尼),スクサハ (蘇克薩哈),エビルン (遏必隆)とともに任じられた。そのなかでもオボイは専横であり,康煕3 (64) 年には飛揚古父子を刑死させ,同5年には圏地の交換に反対した総督朱昌祚,巡撫王登聯,戸部尚書蘇納海を康煕帝の決定を無視して刑死させた。さらにオボイに対抗する力のあったスクサハが,康煕帝の親政を機に引退を願うと,その罪 24条を数えて,帝の反対にもかかわらず極刑に処した。同8年,このように専横をきわめたオボイを帝は宮中で捕えさせ,30条の罪を数えて獄につなぎ,やがて死を賜わった。のち同 52年にその名誉が回復された。
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