順治帝(読み)ジュンチテイ(その他表記)Shun-zhi-di; Shun-chi-ti

デジタル大辞泉 「順治帝」の意味・読み・例文・類語

じゅんち‐てい【順治帝】

[1638~1661]中国朝の第3代皇帝在位1643~1661。名は福臨。廟号びょうごう世祖太宗の第9子。燕京北京)に遷都の残存勢力を鎮定して全土統一に努め、清朝の中国支配の基礎を固めた。

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精選版 日本国語大辞典 「順治帝」の意味・読み・例文・類語

じゅんち‐てい【順治帝】

  1. 中国、清の第三代皇帝(在位一六四三‐六一)。廟号は世祖。名は福臨。太宗の第九子。五歳で即位。李自成が北京を陥れると、北京に進出して清朝の都とした。ついで、明の遺王遺臣を討ち、中国本土を統一した。(一六三八‐六一

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「順治帝」の意味・わかりやすい解説

順治帝
じゅんちてい
Shun-zhi-di; Shun-chi-ti

[生]崇徳3(1638).1.30.
[没]順治18(1661).1.7. 北京
中国,清朝の第3代皇帝 (在位 1643~61) 。名は福臨。臆菴道人と号する。諡は章皇帝。廟号は世祖。年号は順治。ホンタイジ (皇太極)の第9子で,父帝の没後,諸王会議でドルゴン (多爾袞)らに推され,6歳で即位した。当時清朝は李自成の乱により滅亡した明朝を継ぐべく,中国本土への進出をうかがっていたが,順治1 (44) 年の北京入城とその後の中国全土の平定という重大な時期の政務は皇父摂政王の地位にあったドルゴンが腕をふるった。ドルゴン没後に親政を開始し,ドルゴンを追罰して宗室から除籍し,十三衙門を設置して宗室諸王の権力を奪い,皇帝独裁権を確立しようと企てたが困難であった。対外的には明朝最後の勢力桂王永暦帝を雲南からビルマに討ち,台湾の鄭氏一族を除き,全土を平定した。ただ中国平定戦争に功のあった漢人投降将軍 (特に呉三桂ら三藩) の処遇が問題となったが,その解決を得ぬままに天然痘で病没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「順治帝」の意味・わかりやすい解説

順治帝
じゅんちてい
(1638―1661)

中国、清(しん)朝第3代皇帝(在位1643~61)。太宗(たいそう)ホンタイジの第9子。名はフリン、諡(おくりな)は章皇帝、廟号(びょうごう)は世祖(せいそ)。年号をもって順治帝という。1643年、太宗の死後、その弟睿親王(えいしんおう)ドルゴンに擁立され5歳で即位した。1644年3月、明(みん)が李自成(りじせい)らの内乱によって滅亡したことを契機に、清は明の将軍呉三桂(ごさんけい)の救援要請をいれて山海関(さんかいかん)(河北省北東)を越え、4月、李自成を北京(ペキン)から駆逐した。同年9月、順治帝は盛京(せいけい)(瀋陽(しんよう))から北京に遷都し、ここに中国の皇帝となった。順治年間における政治課題の中心は中国支配の確立にあった。軍事面では明の残存勢力の一掃を図るとともに、各地の農民反乱を平定し、郷村秩序の回復を目ざした。また内政面では儒教主義を尊重し、明の官僚機構や科挙制度をほぼ踏襲して読書人層の懐柔を図った。このことは、旧体制の維持を望む漢人支配者階級の支持するところとなり、清朝の中国支配を安定化させる要因となった。

[山本英史]

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改訂新版 世界大百科事典 「順治帝」の意味・わかりやすい解説

順治帝 (じゅんちてい)
Shùn zhì dì
生没年:1638-61

中国,清朝第3代(入関後第1代)の皇帝。在位1643-61年。諱(いみな)は福臨,廟号が世祖。睿親王ドルゴンの補佐の下,北京の李自成政権を打倒し,南方の明の亡命政権をも制圧して,明王朝に代わる清王朝の基礎を固めた。1651年(順治8)以後,親政した。漢人官僚を利用して漢民族支配を進める一方,満州族の辮髪を漢民族に強制し,また江南の税糧滞納者を処分するなど,異民族支配のために断乎たる姿勢でのぞんだ。
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百科事典マイペディア 「順治帝」の意味・わかりやすい解説

順治帝【じゅんちてい】

中国,清朝第3代の皇帝(在位1643年―1661年)。廟号(びょうごう)は世祖。第2代太宗の第9子。幼少で即位したため叔父ドルゴンが輔政となり,以後,中国本土進出,北京遷都など清朝草創期の重要事業はドルゴンが行った。1651年親政となり,諸弊を改め,漢人官僚を用い,中国的君主制に移行しつつ創業の基礎を確立。
→関連項目康煕帝ドルゴン(多爾袞)緑営

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「順治帝」の解説

順治帝(じゅんちてい)
Shunzhidi

1638~61(在位1643~61)

の第3代皇帝。名は福臨,廟号は世祖。順治は年号。太宗(ホンタイジ)の第9子で,初め睿親(えいしん)王ドルゴンが摂政として権力を専らにしたが,その死後1651年から親政。在位18年間は清の中国支配の草創期で,44年明の滅亡に乗じて北京に遷都し,明の政治体制を継承するとともに流賊や南明の勢力を鎮定するのに終始した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「順治帝」の解説

順治帝
じゅんちてい

1638〜61
清の第3代皇帝,世祖(在位1643〜61)
太宗ホンタイジの第9子。父の死後5歳で即位。叔父睿 (えい) 親王ドルゴンが摂政となる。李自成が北京を占領し,明が滅びたので,明将呉三桂 (ごさんけい) の請いを受け入れて1644年北京に入城し,清朝の中国支配の基礎を置いた。1650年ドルゴンが没して親政。その治世に中国の大部分を征服し,その子聖祖康熙 (こうき) 帝に引き継いだ。辮髪 (べんぱつ) 令は順治帝が施行したもの。

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