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開国 かいこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

開国
かいこく

江戸幕府の末期,西洋先進諸国の圧力によって鎖国方針を放棄し,国交を結んで国際社会に加入したことをいう。寛永 16 (1639) 年以降,幕府は鎖国主義を守り,外国との交渉地を長崎,交易国をオランダに限り,この交渉はすべて幕府の管轄下においた。しかし江戸時代末期,文化文政期以降になると,西洋諸国の船が頻繁に来航し,交易を求め,薪水や食料の供給を求めるようになった。幕府は海防を整備して「異国船打払い」 (→異国船打払令 ) を諸藩に命じ,鎖国方針を維持しようとした。弘化1 (1844) 年,オランダ国王が親書を送って開国のやむをえない情勢を幕府に進言し,また国内にも佐藤信淵,渡辺崋山らが,進んで外国と交易し,国際社会での日本の地位を守るべきであると主張した。幕府は前者に対しては「祖法」に反するとして拒否し,後者には弾圧をもってのぞんだ。しかるに,太平洋捕鯨業および対清貿易の中継基地として日本に注目していたアメリカは,M.ペリー提督を使節として日本に派遣した。ペリーは,嘉永6 (53) 年,軍艦4隻を率いて浦賀に来航し,示威行為を伴いつつ,国交および通商を求める大統領の国書を幕府に提出した。時の老中阿部正弘は,アヘン戦争における清国の敗北を認識し,開国のやむをえないことを悟って,諸大名の外交意見を徴し,その支持のうえに立ってこの重大事を処理しようとした。翌年3月,再度来航したペリーとの間に,幕府は日米和親条約締結し,国交を開始し,下田,箱館2港の開港を承認した。これを知ったロシア,イギリス,フランス,オランダの各国も相次いで同様の条約を幕府と締結,こうして幕府伝統の鎖国方針は放棄された。2年後のアロー号事件 (→アロー戦争 ) でさらに敗退した清国の情勢を背景として,安政5 (58) 年,下田駐在アメリカ総領事 T.ハリスとの間に,日米修好通商条約が調印され,さらにほかの4国との間にも同様な条約が調印された (→安政五ヵ国条約 ) 。こうして日本は国際社会に参加していくのであるが,条約の内容からみても,関税自主権の欠如や領事裁判制など,不平等性が著しく,強いられた開国の一面を示している。しかもこの幕府専断の開国政策は,尊王攘夷運動の激化によってそののち数年間著しく阻害され,条約の実行を迫る列国側との間で幾多の試行錯誤を繰返しつつ,明治維新に及ぶのである。

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デジタル大辞泉の解説

かい‐こく【開国】

[名](スル)
外国との交際、通商を始めること。「日本は安政の仮条約で開国した」⇔鎖国
初めて国を開くこと。建国肇国(ちょうこく)。

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世界大百科事典 第2版の解説

かいこく【開国】

対外的に鎖国をつづけていた封建日本が,欧米の先進資本主義列強に近代的な国交・通商関係を強いられ,不平等条約の締結を起点として資本主義的世界市場と近代国際政治のなかに従属的に包摂されたこと。
[条約の締結]
 日本の開国は,1853年7月(嘉永6年6月),浦賀に来航したペリー提督が率いる蒸気艦隊に威圧された幕府がまずアメリカ大統領国書を受領し,翌年(安政1)3月,再度来航したペリーとのあいだに日米和親条約(神奈川条約)を締結したのを発端とする。

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大辞林 第三版の解説

かいこく【開国】

( 名 ) スル
外国と交通や貿易を始めること。特に、幕末に鎖国を解き、西欧諸国と外交・貿易関係を結んだことをいう。 ↔ 鎖国
初めて国をつくること。建国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

開国
かいこく

幕末、欧米列強の圧力により日本の鎖国制度が否定され、外交、貿易が開かれたこと。日本は開国によって資本主義的世界市場に従属的に組み込まれ、その影響は政治、社会、経済、文化のあらゆる面に急激な変化を引き起こし、幕藩体制の解体を促進して、明治維新とその後の近代化の決定的条件となった。[中村 哲]

日本が組み入れられた世界

16世紀に始まる世界市場の形成は、16~18世紀の重商主義段階から18世紀末~19世紀前期の産業革命を経て自由主義段階に達し、1857年(安政4)に最初の世界恐慌が発生する。また、欧米からもっとも離れ、前近代的ではあるが統一国家のもとで鎖国政策が行われ、欧米勢力の侵入を長年にわたり阻んできた東アジアが、アヘン戦争を経て1842年の南京(ナンキン)条約による清(しん)(中国)の開国、58年の安政(あんせい)条約による日本の開国によって世界市場に組み入れられ、地理的にも世界市場がほぼ地球上を覆い尽くすのが1850年代である。
 当時の世界市場の中心はイギリスであり、消費財のみでなく生産財においても工場制工業が確立し、「世界の工場」としての地位を確立していた。他の欧米諸国――フランス、ドイツ、アメリカなどは、イギリス資本主義に影響を受け、それに経済的に依存しつつも産業資本が確立し、いちおう自立的な国民経済が成立する。しかし、非欧米地域――アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、オセアニアは、欧米資本主義の従属的市場として組み入れられてゆく。この19世紀中期における後進地域の世界市場への編入は、前近代における貿易関係とは質的に異なっていた。圧倒的な生産力格差に基づいた商品の大量流入による在来産業の破壊、相対的過剰人口の形成、イギリスなどへの原料・食糧などの農産物輸出の発達、過剰人口を基礎とする高額現物地代を搾取する寄生的な地主制の形成など、旧来の伝統的生産関係が破壊され、欧米資本主義に従属する経済構造につくりかえられていった。19世紀中期に至って、資本主義は世界的規模で後進地域の内部経済を変革し始めたのである。この世界資本主義の底辺に強制的に組み入れられた地域は、さらに三つの類型に大別できる。第一はイギリスの白人植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ケープ植民地など)であり、第二は政治的独立はいちおう維持されたが、自由貿易規定を中核とし、協定税率、治外法権などを含む不平等条約を強制され、政治的、経済的に従属させられた諸国であり、ペルシア、トルコ、シャム、清(中国)、日本などがこれにあたる。第三は欧米にとっての異民族植民地であり、政治的、経済的自立性を奪われ、本国に完全に従属させられた点で世界資本主義の最底辺を構成する。19世紀後半~20世紀初頭にアジア、アフリカの多くの地域が植民地に転落してゆくが、19世紀中期においてはインドがその典型である。[中村 哲]

ペリー来航と日本の開国

列強のアジア侵略を主導したのはイギリスであるが、19世紀中期にはクリミア戦争やインド、中国との戦争・民衆反乱鎮圧などに忙殺されていた間隙(かんげき)を縫って、日本の開国はアメリカ合衆国によって行われた。アメリカは、発展しつつある中国貿易においてイギリスに対抗するため、太平洋横断航路を開く意図をもち、その寄港地を日本に求めたこと、当時アメリカの捕鯨業が全盛期にあり、北太平洋に出漁する捕鯨船が増加し、日本に漂着する遭難船の乗組員の保護や、日本に避泊・補給港を求めたことなどによって、日本への関心が他の列強よりも強かったのである。
 アメリカの遣日特派大使兼中国・日本分遣艦隊司令官ペリーは、4隻の軍艦を率いて1853年7月8日(嘉永(かえい)6年6月3日)浦賀沖に侵入した。黒船渡来の報は日本全国を震撼(しんかん)させたが、ペリーは大統領の国書を幕府に受理させて、いったん中国に引き揚げた。翌54年2月(旧暦1月)7隻の軍艦を率いて再度来航し、武力を背景に強硬に開国を迫り、ついに3月、日米和親条約(神奈川条約)が結ばれた。この条約は、下田(しもだ)・箱館(はこだて)での欠乏品供給、遭難海員・渡来民の保護、最恵国(さいけいこく)待遇、領事駐在などを規定し、通商条項は含んでいなかった。この条約に基づいて56年8月(安政3年7月)総領事として着任したハリスは、第二次アヘン戦争によるイギリス・フランスの中国侵略、中国の敗北を背景に、幕府と通商条約交渉を行い、58年7月(旧暦6月)日米修好通商条約が調印された。翌8月(旧暦7月)にはオランダ、ロシア、イギリス、10月(旧暦9月)にフランスと、相次いで、日米条約を原型とする条約が調印された(安政五か国条約)。[中村 哲]

不平等条約の内容

安政条約は自由貿易規定を中核とし、片務的な領事裁判権(実質的な治外法権)、協定税率、最恵国条項を主要な内容とし、当時欧米列強が後進諸国に押し付けた不平等条約の一つである。とくに1858年6月に調印され安政条約のモデルになった天津(てんしん)条約とは基本的に同じ内容である。しかしいくつかの重要な相違点もある。関税率は、天津条約では輸出入とも原価の5%を基準とする従量税であるが、日米条約では従価税で、輸出税は5%、輸入税は5%、20%、35%の3段階に分かれ、大多数の商品は20%であった。しかし、1866年(慶応2)の改税約書(江戸協約)によって中国と同一の5%に引き下げられた。第二に、天津条約では外国人の国内通商権が認められたが、安政条約では開市開港場に限定され、外国の経済的侵略を防ぐうえで一定の役割を果たした。第三に、天津条約では、中国政府がキリスト教保護の義務を負い、中国領海内の海賊鎮圧のため外国軍艦が中国の港に自由に入港することを認めるなどの列強の内政干渉を招きやすい条項があるが、安政条約にはそうした条項はない。安政条約は典型的な不平等条約であるが、天津条約と比べるとその従属性は弱かったといえる。こうした条約の性格が、国内条件と結び付いて独自の国内変革(明治維新)を行い、自立的な資本主義を形成する一つの条件となったのである。[中村 哲]

貿易の発展とその影響

安政条約に基づいて1859年7月(安政6年6月)から横浜(神奈川)、長崎、箱館の3港で自由貿易が開始されたが、その最初の影響は猛烈な金貨流出と洋銀流入であった。安政条約の内外通貨の同種同量交換規定が、東アジアにおける国際通貨であった洋銀=メキシコ・ドルと、国内において金貨の補助貨であった一分銀との間に適用されたため、国際金銀比価と国内金銀比価の格差がきわめて大きくなったことが原因であった。幕府はこの事態に対処するため1860年に金貨悪鋳を行ったため急激なインフレーションを引き起こし、幕府・藩財政や家臣団の窮乏を激化させて幕藩支配体制の解体が促進される結果を招いた。金銀比価の国際的平準化とともに貿易が急速に伸び、1859年の輸出89万ドル、輸入60万ドルから、1865年に輸出1849万ドル、輸入1514万ドルとなった。輸出では生糸が圧倒的で、茶が第2位、両者で大部分を占めた。輸入では綿製品が第1位、羊毛製品が第2位であり、ほかに幕末維新の動乱期に武器、艦船の輸入が増加した。取引相手国はイギリスが圧倒的に優位で、アメリカ、フランス、オランダ、プロシアなどであり、日本は、欧米資本主義の工業製品の販売市場、原料・食糧の購買市場という従属的な形で世界市場に組み入れられた。
 貿易は完全に外国商人の独占であり、取引は開市開港場に設けられた外国人居留地内の外国商館で行われた。居留地は外国人の自治が行われ、領事裁判権と結び付いて実質的に司法・行政・警察権を外国に握られた国内植民地であり、商取引は日本人商人に不利であった。貿易の外商独占体制は、資本力、海外市場知識の独占、海運、海上保険、外国為替(かわせ)の便などの点での日本人商人との格差に加え、不平等条約に支えられて強力であった。外商はさらに日本人売込み商への前貸し支配によって国内流通にも進出し、居留地内に茶再製工場を設け、造船、炭坑経営など生産面への進出もみられた。国内経済は養蚕・製糸業、製茶業などが輸出産業化して急速に発展した反面、輸入品に圧倒されて綿業をはじめとする商品生産の破壊・衰退が進み、急激なインフレーションの影響とともに本源的蓄積を推進した。[中村 哲]

尊王攘夷運動

ペリー来航に際して、当時すでに幕府は諸藩統制力が弱まっていたので、独力で対処できず、諸藩、幕吏の意見を徴した。これは異例のことであり、かえって幕政批判の道を開くことになった。さらに通商条約の調印に際しては、揺らぎつつある幕権を補強するため幕府は条約の承認を天皇から得ようとし、これに対して雄藩勢力や下級武士尊攘(そんじょう)派は勅許を阻止しようと運動した。これに、幕政改革をめぐる対立、将軍継嗣(けいし)問題をめぐる対立が加わり、激しい政争が展開されたが、幕府専制を維持しようとする保守派から井伊直弼(いいなおすけ)が大老(たいろう)に就任し、勅許を得られぬまま条約調印を強行し、反対派を弾圧した(安政の大獄)。その結果、かえって尊王攘夷運動は全国的に拡大するとともに急進化し、1860年(万延1)3月、水戸浪士らは井伊を暗殺した(桜田門外の変)。
 本来、尊王攘夷思想は幕藩体制と対立するものではなかったが、現実の尊王攘夷運動は幕政批判の武器となり、高まりつつある民衆の封建支配に対する反抗の気運を背景として、激しい現状打破運動として展開した。また、欧米列強の圧力で不平等条約が結ばれ、貿易の影響とインフレーションが急速に全国的に広がるにつれて、そうした民族的危機に対して国家統一を要求する民族主義的性格をも帯び、倒幕派の母体ともなったのである。[中村 哲]
『石井孝著『増訂 明治維新の国際的環境』(1966・吉川弘文館) ▽石井孝著『日本開国史』(1972・吉川弘文館) ▽中村哲著『世界資本主義と明治維新』(1978・青木書店) ▽芝原拓自著『日本近代化の世界史的位置』(1981・岩波書店) ▽浜屋雅軌著『開国期日本外交史の断面』(1993・高文堂出版社) ▽松本健一著『日本の近代1 開国・維新』(1998・中央公論社) ▽井上勲編『日本の時代史20 開国と幕末の動乱』(2004・吉川弘文館)』

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