【かせ】田荘(読み)かせだのしょう

百科事典マイペディア 「【かせ】田荘」の意味・わかりやすい解説

【かせ】田荘【かせだのしょう】

紀伊国伊都(いと)郡の荘園。現在の和歌山県かつらぎ町笠田中(かせだなか)などを含む紀ノ川中流右岸にあった。笠田荘とも書く。京都神護(じんご)寺再興に奔走していた文覚(もんがく)の尽力で同寺領となり,1184年に立券。南隣渋田(しぶた)荘との間で境相論(さかいそうろん)を引き起こしたこともあったためか,立券(りっけん)時に作成されたとみられる【かせ】田荘絵図(神護寺蔵)には,荘域を示す【ぼう】示(ぼうじ)がはっきりと描かれている。絵図にみえる八幡宮宝来山神社)や堂(神宮寺)が現存し,文覚が開削したと伝える用水路文覚井が残る。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む