ウズンハサン(その他表記)Uzun Ḥasan

改訂新版 世界大百科事典 「ウズンハサン」の意味・わかりやすい解説

ウズン・ハサン
Uzun Ḥasan
生没年:1427-78

アク・コユンル朝第5代の君主在位1453-78年。アク・コユンル朝の祖カラ・ウスマーンの孫。本名はハサン・ベグḤasan Beg。長身であったことからウズン(〈長い〉の意)の呼名がつけられた。ウズン・ハサンは西方でオスマン朝のメフメト2世と対決し,東方ではカラ・コユンル朝ジャハーン・シャーを破り(1467),さらにティムール朝アブー・サイードの軍を粉砕して(1469),東部アナトリアからイランにわたる一大帝国を建設した。またウズン・ハサンとベネチアの関係は密接で,彼はベネチアの対オスマン朝政策において重要な役割を果たした。しかし,1473年アナトリアのカラマン侯国を援助して東部アナトリアに出兵したウズン・ハサンは,オスマン帝国のメフメト2世に手痛い敗北を喫した。78年アク・コユンル朝の首都アゼルバイジャンタブリーズで没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウズンハサン」の意味・わかりやすい解説

ウズン・ハサン
Uzun Ḥasan

[生]1420頃
[没]1478
イラン,白羊朝の君主 (在位 1466~78) 。ディヤルバクル拠点として,1467年には黒羊朝のジャハーン・シャーを倒し,68年にはチムール朝のアブー・サイードを破って,イラクおよびイラン全域に支配を拡大,首都をタブリーズに移し,同朝の最盛期を現出させた。その治下,ベネチアやローマ教皇などヨーロッパ諸勢力との緊密な外交関係が結ばれ,頻繁に使節の交換が行われた。

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世界大百科事典(旧版)内のウズンハサンの言及

【アク・コユンル朝】より

…始祖カラ・ウスマーンQara ‘Uthmānはディヤルバクル地方を中心に勢力を固めたが,同じくトルクメン系のカラ・コユンル朝と対立して勢力の伸張を阻まれた。第5代ウズン・ハサン(在位1453‐78)の治世にいたって宿敵カラ・コユンル朝を滅ぼし,その領域を手中に収め,オスマン朝のメフメト2世に対抗したが,手痛い敗北を被った。ウズン・ハサンとその子ヤークーブYa‘qūb(在位1478‐90)の時代にアク・コユンル朝は最盛期を迎え,東部アナトリアからイランにわたる広大な領域を支配した。…

※「ウズンハサン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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