日本大百科全書(ニッポニカ) 「アゼルバイジャン」の意味・わかりやすい解説
アゼルバイジャン
あぜるばいじゃん
Азербайджан/Azerbaydzhan
アジア南西部のザカフカス(カフカス南部)とイラン北西部にまたがり、カスピ海に面する地域の総称。現在はアゼルバイジャン共和国と、イランの東アゼルバイジャン、西アゼルバイジャン両州とに分かれている。北は大カフカス山脈、東はカスピ海、西はアルメニア共和国およびトルコ、南はイラン領クルディスターンに、それぞれ接する。クラ川支流アラクス川が、トルコ東部に発し、イラン北部国境を経てカスピ海に注ぎ、この地域を南北に二分する。北はクラ川流域の平野を山地が取り囲むアゼルバイジャン共和国となり、南はウルミーエ(レザーイーイェ)湖岸からカスピ海に至る高原地域となっている。面積は、共和国側8万6600平方キロメートル、イラン側8万2400平方キロメートル。人口は、共和国側790万8000(1999)、イラン側は609万2000(2001推計)。住民の大部分はアゼルバイジャン人で、人種的にはアルバニア人、メディア人などの先住民と、トルコ人、ペルシア人との混血であるとされている。穀物、果物、綿花、タバコなどを産し、ヒツジ、ウシが飼育される。鉱物資源が豊かで、銅、鉛、鉄などの産出が多い。アプシェロン半島、アラクス川流域、ウルミーエ湖盆地は油田地帯をなし、共和国側はザカフカスにおける工業の中心となっている。
[木村英亮]
歴史
この地域には、紀元前9世紀イジルトゥ(ジルタ)を首都として初期奴隷制国家マナがあった。前7世紀メディアが興りマナを滅ぼしたが、前6世紀にはアケメネス朝ペルシアがこの地域全体を征服した。前4世紀ペルシアがアレクサンドロス大王に倒されたあと、この地域にアトロパテン(火の国)という名の国家が生まれた。アゼルバイジャンの名の起こりである。これは当時すでに石油に富むことが知られていたことを示している。今日の共和国北部とダゲスタンの一部にはやがてアルバニアが建国し、侵入してきたローマ軍を撃退した。その後農業、牧畜、手工業が発展し、3~5世紀には封建制が成立する。3世紀以後はササン朝ペルシアに支配されたが、7世紀にはアラブに、11世紀にはセルジューク・トルコに征服され、イスラム化した。12世紀にはニザーミーなどの民族詩人が生まれている。13世紀にはモンゴルが侵入したが、16世紀イランにサファビー朝が興るとその支配下に入り、強い文化的影響を受けた。
18世紀帝政ロシアはこの地方に進出して、イラン、トルコと対立し、19世紀初頭、両国と戦ったが、1813年イランとのギュリスタン講和によってアゼルバイジャン北部を併合、さらに1828年のトルコマンチャーイ条約によってナヒチェバンを獲得、これ以後イランの一部として残った南部と分かれた。
イラン領アゼルバイジャンには、第二次世界大戦中の1941年ソ連軍が進駐し、1945~1946年には自治政府ができたが、1946年イラン軍の占領により、自治化の動きは抑えられた。
[木村英亮]