アクコユンル朝(読み)アクコユンルちょう(その他表記)Aq Qoyunlu

改訂新版 世界大百科事典 「アクコユンル朝」の意味・わかりやすい解説

アク・コユンル朝 (アクコユンルちょう)
Aq Qoyunlu

14世紀後半ティグリス川上流のディヤルバクル地方に勃興し,15世紀後半東部アナトリア,イラクイランアゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系の王朝。1378-1508年。白羊朝(はくようちよう)ともよばれる。その王統はオグズ諸部族中のバユンドゥル部の出であった。始祖カラ・ウスマーンQara `Uthmānはディヤルバクル地方を中心に勢力を固めたが,同じくトルクメン系のカラ・コユンル朝と対立して勢力の伸張を阻まれた。第5代ウズン・ハサン(在位1453-78)の治世にいたって宿敵カラ・コユンル朝を滅ぼし,その領域を手中に収め,オスマン朝のメフメト2世に対抗したが,手痛い敗北を被った。ウズン・ハサンとその子ヤークーブYa` qūb(在位1478-90)の時代にアク・コユンル朝は最盛期を迎え,東部アナトリアからイランにわたる広大な領域を支配した。その後王朝内部で激しい勢力争いが始まり,1502年ウズン・ハサンの孫アルワンドAlwandはサファビー朝イスマーイール1世に敗れ,まもなくアク・コユンル朝は滅亡した。
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