日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルボ・ソテロ」の意味・わかりやすい解説
カルボ・ソテロ
かるぼそてろ
José Calvo Sotelo
(1893―1936)
スペインの財政家、政治家。強力な国家体制の確立とその主導による社会改革を通じて階級間の調和を図り、支配階級からの経済的譲歩を基礎とする「真の国民統合」の達成を政治信条とした。プリモ・デ・リベラ将軍の独裁政権(1923~30)の蔵相(1925~30)として諸改革にあたったが、農民・労働者に対する保護政策を主張したため、大地主・資本家の反発を招き、同政権崩壊の一因となった。1931年、第二共和国成立により独裁協力の罪に問われ、フランスに亡命し王政復古運動を国外から指導。1934年大赦を得て帰国後、同年の「十月革命」を体験して立場を転換、ファッショ・イタリアに倣った「新国家・新王制」樹立を唱え、右翼諸党統合運動(国民ブロック)の中心となった。1936年2月の総選挙における人民戦線勝利後の国会で議会主義否定の演説を行い、クーデターによる政府打倒を図って軍部に接近したため、左翼勢力の憎悪の的となった。同年6月13日深夜、政治警察官に連行されマドリード郊外で殺害された。議員特権を無視したこの事件は、フランコ将軍の蜂起(ほうき)(同月18日)を決意させ、これを許容する感情の増大に寄与したとされる。
[山本 哲]