ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クトルク・ボイラ」の意味・わかりやすい解説
クトルク・ボイラ(骨力裴羅)
クトルク・ボイラ
Khutluk Boila
[没]747
ウイグル帝国初代のカガン。護輸の子,姓はヤグラカル (薬羅葛) 。バスミル (抜悉密)やカルルク (葛邏禄)などの諸部とともに突厥を攻めた。こののち一時的にバスミルの阿史那施がカガンとなったが,まもなくこれを倒してカガンとなり,クトルク・ビルゲ・キュル・カガン (骨咄禄 毗伽闕可汗) と称した (744) 。そしてこの年唐に入朝し,懐仁可汗の称号を得た。 745年突厥最後のカガン,白眉可汗を破り,その余衆を従え,また他の鉄勒諸部をも従えてウイグル帝国の基礎を固めた。
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