カルルク(読み)カルルク(英語表記)Qarluq; Karlukh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルルク」の意味・わかりやすい解説

カルルク(葛邏禄)
カルルク
Qarluq; Karlukh

哈剌魯とも写す。古代中央アジアの遊牧民族。6世紀頃,新疆北部の天山以北の草原に姿を現し,突厥帝国 (551~744) ,ウイグル帝国 (744~840) と交渉をもった。8世紀中頃のチュルギシュ (突騎施)の滅亡後,その故領であったセミレチエ地方を支配し,10世紀中頃にカラハン朝が出現するとそれに服属し,さらに 12世紀には西遼 (カラ・キタイ) の支配下に入った。 13世紀初めになると,その首領アルスラン・ハンはモンゴルチンギス・ハンに降伏してその皇女と結婚し,アルスランの所領カヤリグは,チンギスの次男チャガタイの領地となった。これがカルルクの史上に現れたほぼ最後である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「カルルク」の解説

カルルク
Karlukh/Qarluq

葛邏禄,哈刺魯6~13世紀に活躍したトルコ系の一部族。アルタイ山脈南西に遊牧し,東西両突厥(とっけつ)の間に立って反服常なかった。ウイグルを助けて突厥を滅ぼし,8世紀半ば以後は西方へ発展して,ウイグルとともにカラハン朝成立に大きな役割を果たした。イリ川北方に残ったカルルクは13世紀初めにモンゴル帝国に服属し,その族長チンギス・カン西征に参加した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルルク」の意味・わかりやすい解説

カルルク
かるるく
Kharlukh

7~12世紀に内陸アジアで活躍したトルコ民族漢字では葛邏禄、哈剌魯と音写される。アルタイ山脈の西、天山山脈の北を本拠とし、だいたい西突厥(とっけつ)、ついで、西突厥から分離独立したトゥルギシュ突騎施)の勢力下にあった。突厥が滅ぶ(744)と、一部はウイグル帝国(745~840)に服属したが、主部はイリ川流域から西トルキスタンにも勢力を及ぼし、ウイグル帝国の滅亡後西方へ移動してきたウイグルとともに、カラ・ハン朝を建てた。イリ川流域に残っていたものは、13世紀の初めにモンゴル帝国に服属した。

[護 雅夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android