コトロマニア朝(読み)コトロマニアちょう(その他表記)Kotromanići

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コトロマニア朝」の意味・わかりやすい解説

コトロマニア朝
コトロマニアちょう
Kotromanići

13~15世紀のボスニアの王朝。開祖はハンガリーに臣従し,1287~1316年ボスニアの一部を支配したスチェパン (ステファン) ・コストロマン。その子スチェパン・コトロマニチ (在位 1322~53) は全ボスニアの首長となり,さらにフム (のちのヘルツェゴビナ) と海岸地方を併合。その甥スチェパン・トブルトコ1世 (在位 53~91) はアドリア海岸からさらにセルビアの一部を合せ,77年「セルビア,ボスニアおよび沿海域の王」と号し,90年までにダルマチアクロアチアの一部をも合せて最大版図を実現した。しかしその死後混乱が生じ,弱体化。スチェパン・トブルトコ2世 (在位 1404~09,21~43) は初めハンガリーと戦ったが,大貴族によって追放され,王位に復帰後,ハンガリーと結んでオスマン帝国と戦った。しかしスチェパン・トマシェビッチ (在位 61~63) のとき,帝国のスルタンへの貢納を拒否したため,メフメット2世に攻撃され,首都ボボバツは陥落,1463年トマシェビッチが殺され,王朝は滅亡した。

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