改訂新版 世界大百科事典 「シャープール2世」の意味・わかりやすい解説
シャープール[2世]
Shāhpuhr Ⅱ
生没年:?-379
ササン朝ペルシア第10代の王。在位309-379年。ホルミズド2世の子。幼少にして即位し,はじめ母后が大貴族の協力を得て政治をみた。国境を荒らしていたアラブを平定したのち,ナルセー時代(298)にローマに奪われた西部諸州の回復をめざし,まずアルメニアの内紛に乗じて同国を占領した。これが原因となって,337年にローマとの間に長期にわたる戦争が開始された。当時,ローマはキリスト教を保護し,アルメニア王も改宗政策を進めていたので,これに対抗してシャープール2世は339年からキリスト教迫害を開始した。ペルシア軍はたびたびローマ軍を破り,363年にはユリアヌス帝を敗死させた。そのあと30年間の平和条約が結ばれ,メソポタミア北部はササン朝領土として承認された。東方においてもフン族を撃退し,シャープール1世時代の盛時を復活させた。
執筆者:佐藤 進
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