翻訳|boundary
国家領域の限界をいう。国家領域は、主権国家の管轄権が空間的に及ぶ範囲であるが、領土、領水、領空よりなり、その限界面が地球と交錯する線を国境とよぶ。陸続きで隣国と接している場合には、相互に限界を画するのが国境である。国境を基線とした上下に垂直な限界内で、国家の領域権は機能しうる。
古代や中世においては、国家は人的結合を基礎とし、明確な国境線は存在しなかった。しかし、近代主権国家は領域国家として成り立っているのであり、国境線は国家存立の基盤をなし、きわめて重要なものとなった。領土保全に対する侵害は国境を越えるか否かが基準となり、国境をめぐる紛争は領域の得喪に結び付く重大な問題となるのである。歴史的にも、現在においても、領土・国境紛争は国際紛争のなかで大きな部分を占め、武力衝突に至る場合も多いのである。国境紛争は、かならずしも理論的に明確に決定できない場合が多く、また、当事国が感情的になりやすく、その解決に長い年月と多くの労力が費やされる場合が多い。したがって、もっともよいのは、国境紛争を国際裁判によって解決することであり、事実、多くの裁判例が存する。なお、最近の国境紛争としては、ベトナム・カンボジア国境画定、中ロ国境、エクアドル・ペルー国境など未解決の問題が少なくない。
国境の決め方については、これを画定する国際法上の基準があるわけではなく、海洋・河川・湖沼・山脈・分水嶺(ぶんすいれい)などの自然の地形や、住民の民族的関係・伝統・慣行、あるいは、道路、運河、緯線、経線などの人為的な基準が用いられるなど、伝統的・慣習的に定められたり、国家間の合意・慣行に基づいて設定される。河川が利用される場合には通常タールベークTalwegの原則によって処理されてきた。この原則によれば、船舶の航行可能な国際河川の場合には下流へ向かう航路の中央線、航行不可能なものについては川幅の中央線を国境線とする。湖水、内海、領海などの場合にも、対置する場合には両岸からの中央線、隣接する場合には近接線とするのが普通である。一般に、国境の画定は、関係国間の条約に基づいて行われ、具体的な条約規定を作成する際に前述の基準が用いられるが、しばしば、この国境条約の解釈をめぐって紛争が生じる。たとえば、現在のアラスカのアメリカとカナダ間の国境は、1825年のイギリス・ロシア間の条約によって決められた国境線が基になっており、北部では西経141度線が採用されて明確であったが、南部で採用されたポートランド海峡がどこをさすかについて争いとなった。また、中南米では、国家独立当時の旧植民地の行政区画を採用して国境線とするウティ・ポッシデティスuti possidetisの原則によるが、この適用をめぐって紛争が多く生じている。アフリカについては、19世紀末のヨーロッパ帝国主義列強による「アフリカの分割」と植民地支配の結果、国境線は、自然の地形や民族関係を無視したきわめて人為的なものとなっており、しばしば紛争の原因となっている。なお、最近では、国境そのものではないが、国家領域の外側に設けられた排他的経済水域などの資源分割を中心とした隣国との境界画定問題が増加している。
[広部和也]
国家の領域を,他国の領域または無主地または公海から分かつ地球表面上の線。国境は,標識で示されることもあれば,示されないこともある。河川,山脈などの自然が国境になる場合もあれば,標柱,石,遮断棒,壁などの人工的標識が国境をあらわす場合もある。
河川が国境になる場合は,航行不可能の河川と航行可能の河川に分ける。前者では,原則として,両岸からの中央線が国境になる。後者では,原則として,タールベーク(下流に向かう航路)の中央線が国境になるが,航路が複数あるときは,主要な航路の中央線が国境である。河川はその流れを徐々に変えることがあるが,そのときには国境も変わる。もっとも,国境河川の河床が大水等のため急に大きく変化したようなとき,国境は以前のままである。また,橋が国境河川にかかっているとき,特別の合意がなければ,国境は橋の中央である。特別の合意の例として,アルザス・ロレーヌ内に現存するライン川の橋はフランスに属すると規定したベルサイユ講和条約66条がある。
山脈が国境になる場合は,特別の合意がなければ,分水線が国境になる。
湖または内海が二つ以上の国家の間にある場合は,原則として,特別の合意が湖または内海の国境を規定する。特別の合意がなければ,それぞれの沿岸国に属する岸からの中央線が国境になる。
領海と公海の境界は,領海の幅の問題であるが,領海の幅の2倍より狭い海峡の場合,特別の合意がなければ,国境は海峡の両岸からの中央線である。海峡航路の中央線であるとする説もあるが,国際慣行にはなっていない。
国境は国家にとって非常に重要であるから,これをめぐって,これまで多くの国際紛争が発生し,しばしば戦争にまで拡大した。しかしながら,19世紀には,国境紛争を平和的に解決しようとする傾向があらわれはじめた。そこで,当事国が交渉して国境条約を締結した例として,1848年のアメリカ・メキシコ国境条約,1963年の中国・パキスタン国境条約などがある。また,国境紛争を国際仲裁裁判で解決した例として,1903年のアラスカ国境事件(当事国はアメリカおよびイギリス),66年のアルゼンチン・チリ国境事件などがある。
執筆者:松田 幹夫
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…戦国時代になると,その争乱は〈国郡境目相論(こくぐんさかいめそうろん)〉を基本軸に展開する。戦国大名は領土協定(国分(くにわけ))などによって同盟関係を結びあったが,その場合の領土協定の単位となったのは一国,半国,郡といった行政単位であり,その境界線は国境や郡境などであった。戦国大名の領土争奪戦も国郡制の枠組みに規定されていたのである。…
…あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。…
…あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。…
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