佐藤 進(読み)サトウ ススム

20世紀日本人名事典 「佐藤 進」の解説

佐藤 進
サトウ ススム

明治・大正期の医学者,男爵 陸軍軍医総監。



生年
弘化2年11月25日(1845年)

没年
大正10(1921)年7月26日

出生地
常陸国太田(茨城県)

学位〔年〕
医学博士〔明治21年〕

経歴
常陸で代々酒造を営む家に長男として生まれるが、佐倉藩医の佐藤尚中漢学を学ぶ。のち、見込まれて養嗣子となり三代目順天堂堂主。戊辰戦争では諸地に病院を開設し、負傷者の治療に従事した。明治になると陸軍大学病院頭取となり、2年ベルリン大学に留学普仏戦争では戦地に赴いて外科治療に従事。7年日本人で初めてベルリン大学医学部を卒業。8年帰国、順天堂医院で外科を担当し病院を発展させた。10年西南戦争では陸軍軍医総監として働き、その後東京大学医学部講師兼医院長を務めた。また日清・日露戦争でも活躍し、李鴻章狙撃事件ではその治療にあたった。40年大韓医院建設および軍陣医学貢献の功により男爵授爵。


佐藤 進
サトウ ススム

昭和・平成期の財政学教授 新潟大学名誉教授。



生年
大正15(1926)年1月1日

没年
平成10(1998)年3月1日

出生地
東京都中野区

学歴〔年〕
東京大学経済学部〔昭和22年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

主な受賞名〔年〕
日税研究賞〔昭和56年〕,日本公認会計士協会学術賞〔昭和56年〕

経歴
昭和34年武蔵大学経済学部教授を経て、52年東京大学経済学部教授、61年新潟大学教授、のち日本大学総合科学研究所教授。地方財政審議会会長なども務めた。著書に「近代税制の成立過程」「付加価値税論」「財政学入門」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤 進」の意味・わかりやすい解説

佐藤進
さとうすすむ

[生]弘化2(1845).11.25. 常陸太田
[没]1921.7.25. 東京
外科医。本姓は高和氏で,慶応3 (1867) 年,佐藤尚中養子となる。 15歳で佐倉の順天堂に入門して医学を学び,戊辰戦争には軍医として参加し,明治2 (69) 年ドイツに留学。 1875年帰国し,東京の順天堂 (→順天堂大学 ) の副院長となった。 77年西南戦争で陸軍軍医監となり,戦後,陸軍本部病院長をつとめたが,82年,尚中の死亡のため辞任,順天堂の経営に専念した。 85年東京大学第1および第2医院長を兼任。 94年日清戦争勃発により広島予備病院長に任じられ,翌年陸軍軍医総監に昇進。日露戦争にも応召した。伊藤博文に韓国の医事衛生管理,病院建設を要請され,1908年ソウルに大韓医院を創設。 20年順天堂医院長を辞す。この間,日本結核予防協会の創立に尽力し,女子美術学校理事長,同校長をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤 進」の解説

佐藤進 さとう-すすむ

1845-1921 幕末-大正時代の医師。
弘化(こうか)2年11月25日生まれ。佐藤尚中(しょうちゅう)の長女志津と結婚し,3代順天堂主をつぐ。明治2年ドイツに留学し,帰国後,順天堂医院の外科を担当。帝国大学医科大学第一・第二病院長をつとめる。28年陸軍軍医総監。大正10年7月25日死去。77歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。本姓は高和。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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