朝日日本歴史人物事典 「ジュリアおたあ」の解説
ジュリアおたあ
徳川家康侍女の朝鮮人キリシタン。文禄・慶長の役(文禄1~慶長3)に小西行長に捕らわれて日本に送られ小西家でキリシタンとなる。洗礼名ジュリア。慶長5(1600)年の関ケ原の役で小西が敗れたのち,家康「奥方ノ御物仕」として伏見,駿府両城にあり宣教師と接触を保つ。同17年キリシタン禁教令施行に際し棄教を拒み,伊豆の大島,新島さらに神津島に流刑となる。元和5(1619)年に同島を離れたらしく同年末には長崎にあり,同8年1月5日(1622.2.15)付のパシェコ神父の書翰によると「コライジンCoraijinのオタ・ジュリア」は大坂にいて同神父の経済的援助を得ていた。神津島の流人墓地に彼女の墓と伝えられるものがある。昭和33(1958)年在日韓国人カトリック信者が,同地に十字架を立てた。同45年ジュリア顕彰会が組織され毎年5月ジュリア祭が催されている。韓国では聖女として敬愛されている。<参考文献>ルイズ・デ・メディナ『遥かなる高麗』
(五野井隆史)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報