日本大百科全書(ニッポニカ) 「おたあ・ジュリア」の意味・わかりやすい解説
おたあ・ジュリア
おたあじゅりあ
生没年不詳。朝鮮人キリシタン。幼年のころ、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役の際小西行長(こにしゆきなが)の軍によって日本に連行され行長に仕えるうち洗礼を受けた。関ヶ原の戦いののち徳川家康(とくがわいえやす)に連行され、伏見(ふしみ)城、駿府(すんぷ)城と家康が居を移すごとにその奥座敷の女官として仕えた。駿府城内では圧迫を受けながらもひそかに礼拝堂を設け、他の女官たちにもキリスト教を広めた。1612年(慶長17)キリシタン禁令により駿府城内から追放、伊豆大島を経て神津(こうづ)島に流された。流刑後も教会と連絡をとり数年間は生存していた。おたあの一生には豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮侵略と幕府によるキリシタン弾圧という歴史の重圧が凝縮している。神津島に墓石といわれるものがある。
[奈倉哲三 2018年3月19日]
『ジァン・クラセ著、太政官本局翻訳係訳『日本西教史』上下(1925、1926・太陽堂書店)』▽『片岡弥吉著『信仰に輝く日本婦人達』(1941・きりしたん文化研究所/複製・1995・大空社)』▽『パジェス著、吉田小五郎訳『日本切支丹宗門史』(岩波文庫)』