デジタル大辞泉 「スタニスラス広場」の意味・読み・例文・類語 スタニスラス‐ひろば【スタニスラス広場】 《Place Stanislas》フランス北東部、グラン‐エスト地方、ムルト‐エ‐モーゼル県の都市、ナンシーの中心部にある広場。18世紀中頃、ルイ15世の義父スタニフワス(スタニスラス)=レシチニスキーがポーランド国王の座を追われて亡命しロレーヌ公となり、大規模な都市開発を行った際につくられた広場の一。同市出身の建築家エマニュエル=エレが設計し、金具工芸師ジャン=ラムールがロココ様式の装飾を手がけた。市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館に囲まれる。他の広場と共に、1983年に「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場及びアリアンス広場」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
世界の観光地名がわかる事典 「スタニスラス広場」の解説 スタニスラスひろば【スタニスラス広場】 フランス北部、ロレーヌ地方の都市ナンシー(Nancy)の市街中心部にある3つの広場の一つ。他の2つの広場はカリエール広場、アリアンス広場である。この3つの広場は、合わせて世界遺産に登録されている。106m×124mのスタニスラス広場に面して市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館などが建ち並ぶ。この広場は、フランス王ルイ15世の義父ロレーヌ公スタニスラスが国王を称えて、1751~1755年にかけてエマニュエル・エレの設計により建設したものである。中世以来の旧市街と16~17世紀にかけてつくられた新市街を統一しようという意図があり、広場はその都市計画の重要な役割を担った。広場中央には、1831年に設置されたスタニスラスの像が建つ。それ以前は国王広場(Place Royale)と呼ばれ、ルイ15世の像が建っていたが、フランス革命期に壊されて残っていない。このほか、広場の6ヵ所に、ロココ様式の美しい金属細工が施された鉄柵がある。 出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報