凱旋門(読み)がいせんもん

世界の観光地名がわかる事典「凱旋門」の解説

がいせんもん【凱旋門】

フランスの首都パリのシャンゼリゼ通り西端、シャルル・ド・ゴール広場にある門。ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が1805年にアウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシア連合軍に勝利した記念として、その翌年の1806年にナポレオンの命令で建設が始まり、30年後の1836年に完成した。◇高さ50m、幅45mで、壁面はナポレオン軍の戦闘を描いたレリーフがあるほか、凱旋門の下には、第一次世界大戦で戦死した無名兵士の墓がある。エレベーターか階段で屋上に登ることができる。パリで凱旋門といえば、一般にこの凱旋門を指すが、パリ市内にはほかにカルーゼル門、サンドニ門、サンマルタン門など多数の凱旋門が存在する。このため「エトワール凱旋門」と呼ぶことも多い。正式名称は「エトワール広場の凱旋門」(Arc de triomphe de l'Etoile)。

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精選版 日本国語大辞典「凱旋門」の解説

がいせん‐もん【凱旋門】

[1] 〘名〙 凱旋の軍隊を歓迎するため、または、凱旋を記念して作られた門。古代ローマ時代や近世ヨーロッパの新古典主義の風潮の時代に盛んに建造された。パリのものが特に有名。
経国美談(1883‐84)〈矢野龍渓〉後「諸軍をして是門を経過して国都に入らしめ他日更に之を経営装飾して凱旋門と為し永く隆具の勝戦を後世に記臆せしめんと企てたり」
[2] (原題Arc de Triomphe) 長編小説レマルク作。一九四六年発表。第二次世界大戦直前のパリに避難した諸国からの亡命者たちの不安と恐怖を描き、世界的なベストセラーとなった。

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百科事典マイペディア「凱旋門」の解説

凱旋門【がいせんもん】

戦勝を記念して建てられた門。古代ローマで多く造られ,形式が定められた。ティトゥスの記念門のように大きなアーチ一つだけのものと,セプティミウス・セウェルスコンスタンティヌスの記念門のように両脇に小さなアーチをつけて3通路にしたものとの2種あり,いずれも屋上部正面のパネルに皇帝への献辞が刻まれている。ルネサンス以後近代にかけても多数造られたが,そのうちではパリのエトアール凱旋門が有名。
→関連項目フォンテーヌ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「凱旋門」の解説

凱旋門
がいせんもん
Triumphal arch

古代ローマ時代に戦勝の皇帝または将軍をたたえるため,あるいは政治的事件を記念するために建造されたアーチ門の構築物。代表例にはアーチ1つのチツス帝凱旋門左右に小アーチを伴う3つのアーチから成るセプチミウス・セウェルス帝凱旋門,コンスタンチヌス凱旋門など。 19世紀の新古典主義時代にもヨーロッパ各地に凱旋門が建てられている。パリ,エトアール広場 (ドゴール広場) の凱旋門,ベルリンブランデンブルク門など。

凱旋門
がいせんもん
Arc de Triomphe

ドイツの作家 E.M.レマルクの小説。 1946年刊。第2次世界大戦前夜のパリを舞台に,凱旋門近くに潜伏している亡命者たちの運命とドイツ人医師ラビックのゲシュタポに対する復讐を描く。ベストセラーとなり,48年映画化された。

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旺文社世界史事典 三訂版「凱旋門」の解説

凱旋門
がいせんもん

戦勝を記念して建てられた門
もとは,共和政ローマが戦勝将軍に対しローマ市内で行う凱旋式の記念建造物である。多くは城壁と隔絶して建てられ,実用性を欠く。ローマ史上ではコンスタンティヌス帝とトラヤヌス帝のもの,近代ではパリのナポレオン1世,ベルリンのフリードリヒ2世(大王)のものが有名。

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デジタル大辞泉「凱旋門」の解説

がいせんもん【凱旋門】[書名]

《原題、〈フランス〉Arc de Triompheレマルクの長編小説。1946年刊。第二次大戦前夜、パリへの避難民であるドイツ人外科医ラビックの望みのない生活を中心に、当時の不安な世相を描く。

がいせん‐もん【×凱旋門】

凱旋の軍隊を歓迎するため、または、凱旋を記念して作られたアーチ門。古代ローマで盛んに建造された。→エトワール凱旋門
[補説]書名別項。→凱旋門
[類語]かどゲート正門表門裏門アーチ通用門楼門城門山門大手門から冠木かぶき上げ土門背戸鳥居

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世界大百科事典 第2版「凱旋門」の解説

がいせんもん【凱旋門 triumphal arch】

古代ローマ共和政時代の戦勝を得た将軍がローマ市内で行う凱旋式の記念として建立した凱旋記念建造物の一形式。一般には独立したアーチ門の形態を有するが,後には三連アーチ門や四面門の形態をとる例も現れた。前2世紀初頭のステルティニウスやスキピオ(大)の凱旋門が最古の例であり,その後,《ファビウスの凱旋門》(前121創建,前57再建)によって基本的な形式,つまりアーチによる通路とその上部の碑文パネルを整えた。

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世界大百科事典内の凱旋門の言及

【エトアール凱旋門】より

…その後ナポレオン失脚により計画は大きく変わり,建築家も交代し,七月王政期の36年にようやく完成した。古代ローマの凱旋門を範としているが,正面に円柱がないのが特徴。高さ49.5mで,凱旋門では世界最大。…

【ローマ】より

… アウグストゥス以来の諸帝は最大の公共事業施工者として上下水道など衛生設備や円形競技場など娯楽施設の充実を目ざすとともに,中央広場に隣接して新たに広場を設け(アウグストゥス,ウェスパシアヌス,トラヤヌスら),首都景観の美化に努めた。神殿や図書館,戦勝記念円柱,凱旋門をめぐらしたこれらの広場は,その配置自体各皇帝の統治理念の反映であり,帝国の支配イデオロギー宣伝の舞台であった。皇帝による土木事業はこのほか,港湾(クラウディウス帝のローマ港,ネロのアンティウム港,トラヤヌスのケントゥムケラエ港など)や運河(ナイル川と紅海を結ぶもの。…

【ローマ美術】より

…ローマ人はオーダーをギリシア人と同じように建築の構造として使うこともあったが,アーチと組み合わせて装飾的に使うことも多かった。〈凱旋門のモティーフ〉と呼ばれるこの手法はローマ独特の建築表現として,後世の西欧の建築に繰り返し用いられた。
[コンクリート構造]
 ローマ人はまたコンクリート構造を発明し発展させた。…

※「凱旋門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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