日本大百科全書(ニッポニカ) 「スパイM」の意味・わかりやすい解説
スパイM
すぱいえむ
1930年代前半期に日本共産党内に送り込まれたスパイ・挑発者。当時、非合法組織とされていた日本共産党を壊滅させる目的で特高警察が同党内に潜入させて謀略を実行させた。松村昇(まつむらのぼる)、峰原暁助(みねはらぎょうすけ)、ヒヨドロフなどの変名をもつが、本名は飯塚盈延(いいづかみつのぶ)で、1902年(明治35)愛媛県に生まれた。31年(昭和6)1月、風間丈吉(かざまじょうきち)を責任者として同党が再建されたとき指導部に入り、中央委員会の中央家屋資金局を握って、思想検事戸沢重雄(とざわしげお)、警視庁特高課長毛利基(もうりもとい)と連絡をとりつつ、その指示でスパイ・挑発行動を行った。32年4月、中央委員上田茂樹(うえだしげき)の逮捕を手引きし、また6月までの間、同党に資金援助していた多数の文化人を資金網を利用して警察に売り渡した。同年10月、大森銀行ギャング事件を仕組んで共産党の威信を失墜させ、また静岡県熱海(あたみ)に招集された全国代表者会議を機に約1500人の党員・活動家の検挙を手引きした。その後、姿を消していたが、65年(昭和40)9月に北海道で死亡したことが確認されている。
[梅田欽治]
『日本共産党中央委員会編『日本共産党の六十年』(1982・日本共産党中央委員会出版局)』▽『松本清張著『昭和史発掘5』(1967・文芸春秋)』▽『小林峻一・鈴木隆一著『日本共産党スパイM』(1980・徳間書店)』