改訂新版 世界大百科事典 「ゼンパハの戦」の意味・わかりやすい解説
ゼンパハの戦 (ゼンパハのたたかい)
1386年7月9日,スイス中部,ルツェルン北西部ゼンパハSempach近郊で,スイス盟約者団がハプスブルク軍を破った戦い。ルツェルンは,ハプスブルク家の支配から完全に自立するために,近郊にあった同家の城砦を前年12月に占拠し,近隣農村に市民権を付与して都市領域支配の拡大を図った。これに対して,ハプスブルク家はレオポルト3世指揮下の騎士軍を派遣したが,ルツェルンは原初三邦の援軍を受けた。戦いの当初,午前中はスイス側が不利だった。しかし昼になって,スイス側は農民長槍隊の歩兵軍で身軽であったのに対し,重装の騎士軍は暑さで疲労し敗北した。ハプスブルク側の戦死者1800名に対し,スイス側はわずか20名足らずだった。騎士軍の槍ぶすまを受けたまま仁王立ちとなり,スイス側の活路を作り出したウィンケルリートArnold Winkelried(?-1386)の英雄的行為は有名であるが,同時代史料には記述はなく,15世紀以降の年代記に出てくる。次いで1388年のネフェルスNäfelsの戦にもスイス側は勝利し,スイス独立の一里塚を築いた。
執筆者:森田 安一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報