ソリダリダッド(その他表記)Solidaridad

改訂新版 世界大百科事典 「ソリダリダッド」の意味・わかりやすい解説

ソリダリダッド
Solidaridad

スペインフィリピン人によって発行されたフィリピン改革運動の機関紙。1880年代初頭からスペイン支配下のフィリピンでは,プロパガンダ運動と呼ばれる改革運動が開始された。この運動はマニラや近隣諸州ばかりでなく,スペインでもフィリピン人留学生や政治的亡命者を中心に展開された。《ソリダリダッド》は後者の機関紙として89年2月15日に創刊され,以後半月1回の発行で95年11月15日まで続いた。編集長は当初ロペス・ハエナGraciano Lopez-Jaenaであったが,1889年11月に発行地がバルセロナからマドリードへ移ったのを機にデル・ピラール交代,以後最終号まで彼が編集の責めを負った。同紙は自由主義の立場からフィリピン支配の不正,非能率,言論および人権抑圧,修道会専横などを批判して,スペイン政府にその改革を要求した。しかし現実的効果はほとんどなく,また運動は90年末からリサール派とデル・ピラール派に分裂し,それが原因で同紙も資金難,執筆者難に陥り,93年以後の紙面はまったく精彩を欠いた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のソリダリダッドの言及

【フィリピン】より

…彼らは自国の主都マニラとスペインの首都マドリードとを主要舞台にして,フィリピン支配の改革を求める言論活動を展開した。この運動の中で,リサールやデル・ピラールらの著名な知識人が輩出し,機関紙《ソリダリダッド》が発行された。プロパガンダ運動はフィリピン社会に,初めて全民族を統一する民族思想を創り出し,植民地支配を一つの体制悪として総合的に批判する理論をつくり出したが,現実の改革要求については何一つ実現することができなかった。…

【ポンセ】より

…ルソン島中部のブラカン州バリワグ町の富裕な家庭に生まれ,1887年にスペインのマドリード中央大学に留学して医学を修めた。スペインで展開中のフィリピン改革運動に参加し,同郷のデル・ピラールの右腕として機関紙《ソリダリダッド》の発行を創刊から終刊まで支え,自らもこれに多くの執筆を行った。96年7月盟友デル・ピラールを失い,ホンコンに移った。…

※「ソリダリダッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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