キリスト教世界において,合法的な教会の権威によって認可され,会員が共通の会憲(インスティトゥトゥムinstitutum)のもとで修道生活を営む組織をいう。その場合,キリスト教の四大修道会則(レグラ=戒律)といわれる〈バシリウス会則〉〈ベネディクトゥス会則〉〈アウグスティヌス会則〉〈フランシスコ会則〉のいずれかに準拠するものを盛式誓願修道会(オルドordo),会憲のみによるものを単式誓願修道会(コングレガティオcongregatio),両者を併せてレリギオreligioという。またソキエタスsocietas,インスティトゥティオinstitutioの語が当てられることもある。
修道院は古くから存在したが,修道会ができたのは比較的遅い。8世紀からヨーロッパでは〈ベネディクトゥス会則〉を採用する修道院がふえるので,これらをベネディクトゥス修道会(ベネディクト会)と呼ぶこともあるが,厳密にはこれは統一的組織をもつ修道会ではなかった。ヨーロッパにおける最初の例はクリュニー修道会(クリュニー修道院)である。11世紀に入ると北イタリアにカマルドリ会やバロンブローザ会,グルノーブルにラ・グランド・シャルトルーズ会(カルトゥジア会),ブルゴーニュにシトー会,ノルマンディーにグランモン会など,いずれも隠世的な観想修道会が次々に誕生した。その影響を受けて,教区聖職者も修道士と同様な厳格な共同生活を送るようになる。各地の司教座の聖堂参事会がそれであるが,その代表的なものは南フランスのサン・リュフと北フランスのプレモントレの修道会である。彼らは対異端説教,福音伝道,巡礼者保護など使命はさまざまであったが,その基準となったのが〈アウグスティヌス会則〉であったのでアウグスティヌス派聖堂参事会とも呼ばれる。これと性格のよく似た司祭集団の修道会にドミニコ会があるが,ここではやがて学問が重視されて学者が輩出する。ドミニコ会と並ぶ説教修道会がフランシスコ会であるが,彼らは個人としても共同体としても財産を持たず,もっぱら信者の喜捨によって生活したので,托鉢修道会とか乞食修道会とか呼ばれた。1215年の第4ラテラノ公会議は新会則による修道会の設立を禁じたが,〈フランシスコ会則〉は1223年教皇の承認を得た。ドミニコ,フランシスコの両修道会にはいずれも女子の第2修道会と平信徒の第3修道会が設けられた点も似ている。
修道会結成の熱意は12世紀に騎士身分にも及び,いわゆる三大騎士修道会を生む。そのうち最初から聖地防衛という軍事目的でつくられたテンプル騎士団は十字軍失敗後,フランス国王と争って廃絶された(1312)。ヨハネ騎士団,ドイツ騎士修道会は聖地巡礼者や十字軍傷病兵に対する医療活動から出発し,前者の場合この性格は後々まで変わらなかったが,後者は1226年から16世紀初頭までプロイセンの異教徒改宗と植民活動に従事した。スペインでも12世紀の後半にはシトー会の影響を受けて,カルトラバ,サンチアゴ,アルカンタラの騎士修道会が生まれ,イベリア半島における対イスラム戦である国土回復戦争(レコンキスタ)の不可欠の推進力となった。
中世末から近代初頭にかけ教会は大きな危機に見舞われたが,それだけに修道会についてもさまざまな改革が試みられた。例えば1419年パドバのサンタ・ジュスティナ修道院を中心に結成された〈修族congregatio monastica〉の組織は観想と托鉢の双方の長所をとり入れた新しい方式の修道会で,以後これに倣うものが多かった。イタリアのカッシノ修族,フランスのサン・ドニおよびサン・モールの両修族はその例である。また従来の修道会で再生されたものも多い。フランシスコ会から分かれたカプチン会,スペインのアビラのテレサによる改革(跣足)カルメル会,ローマの兄弟会から発展したテアティノ修道会,ミラノのバルナバ会があげられる。1534年イグナティウス・デ・ロヨラによってパリで結成されたイエズス会は40年正式の修道会として認可され,その9年後早くも日本に宣教師を派遣するほどの活力を示し,時代へのみごとな適応を示した。現代では〈イエズスの小さき兄弟会〉のような小集団の活動が目だつ。
→修道院
執筆者:今野 國雄
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ローマ・カトリック教会によって認可された共同生活による修道団体。その生活の場を修道院monasteryという。各修道会にはそれぞれの活動目的に応じた会の規則(会則)が定められており、その性格はさまざまである。教会法上は、法的拘束力の強い盛式誓願(誓願とは修道者になる際に神との間に結ぶ約束をいう)をたてるオルドordo(ラテン語)、order(英語)と、拘束力の比較的弱い単式誓願によるコングレガティオcongregatio, congregationとに大別される。ベネディクト会、シトー会、アウグスティヌス隠修士会、フランシスコ会、ドミニコ会など中世以来の伝統に従うものは多く前者で、近世以降数多く設立された活動的修道会は、イエズス会を除いて、もっぱら後者である。両者をあわせてレリギオreligio, religionと総称する。
修道生活の形態、目的の別によっては、禁域にこもって祈りと労働の生活に専心する観想修道会(ベネディクト会、シトー会、カルトゥジオ会など)、主として13世紀に設立され、民衆のなかでの布教活動にも従事する托鉢(たくはつ)修道会(ドミニコ会、フランシスコ会、カルメル会、アウグスティヌス隠修士会など)、修道参事会員canonici regularesによる修道参事会(プレモントレ会など)、比較的自由な戒律のもとで布教、教育、慈善、社会事業など、社会のなかでの活動に携わる活動修道会(イエズス会、サレジオ会、神言会など)などが区別される。ほかに、騎士の身分の人々による騎士修道会(ヨハネ騎士修道会、神殿(テンプル)騎士修道会、ドイツ騎士修道会など)、病人看護を目的とする看護修道会(ヨハネ騎士修道会、カミロ会、神の聖ヨハネ病院修道士会など)もある。修道者の大半が司祭であるものを司祭修道会、逆の場合を修士修道会(ラ・サール会など)とよぶこともある。
[鶴岡賀雄]
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カトリック教会の正式認可を受けた共同生活による修道団体。古代東方に起源を有し,ベネディクト修道会によって西ヨーロッパにおける典型が確立された。誓願,会員身分,男女別で各種のものがある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…また首都の総主教に俗人が任命されたことも数度に及ぶが,これもビザンティン教会の地位を如実に物語っている。俗権を脅かしうる唯一の勢力は修道院であるが,修道会が成立しなかった東方では修道院の横のつながりは弱かった。なお修道士には熱狂的な信仰に支えられて世俗を捨てる者と積極的に教会政治に関与する者があった。…
…教階制度は教会が権威主義的な支配の体制であるかのような印象を与え,過去において実際にそのような弊害も生じたが,その本質と精神においては信徒と教会全体の福祉に奉仕するための制度である。第2の特徴は,教会の宗教的・精神的生活を活性化し,豊かにするのに大きな役割を果たしてきた修道会の制度である。修道会は,それぞれの目標,創立者の精神などにもとづいて,きわめて多様な制度的形態をとり,また時代の要求に応じて変化していく面もあるが,その理想はつねに,福音書に示されたキリストにならい従う生活に徹することである。…
※「修道会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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