改訂新版 世界大百科事典 「デルピラール」の意味・わかりやすい解説
デル・ピラール
Marcelo Hilario del Pilar
生没年:1850-96
フィリピン革命に先立つ改革運動の中心的指導者。マニラ北隣のブラカン州ブラカン町出身。1880年に当時の最高学府サント・トマス大学を卒業すると,マニラおよびブラカン州一帯の知識人,プリンシパリーアをひそかに組織して植民地改革運動を開始した。ちょうどこの頃,植民本国スペインでもフィリピン人留学生らが植民地改革を要求する言論活動を開始したので,これ以後1895年ころまでをフィリピン史ではプロパガンダ運動(啓蒙宣伝活動)の時代と呼んでいる。88年にデル・ピラールは国外追放処分を受けそうになり,スペインへ脱出,この地ですでに開始されていたフィリピン改革運動を再組織した。ここで彼が最も力を注いだ仕事は,機関紙《ソリダリダッド》の発行である。しかし同紙を中心とする彼の活動はリサールらと見解の相違をみ,またスペイン政府からはなんら具体的改革を引き出せなかったため,95年にはフィリピンでの支持を失ってついえた。同時に彼の肉体も7年余の異郷での活動に力尽き,帰国を目前にバルセロナで客死した。
執筆者:池端 雪浦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報