タウフィクヒダヤト(その他表記)Taufik Hidayat

現代外国人名録2016 「タウフィクヒダヤト」の解説

タウフィク ヒダヤト
Taufik Hidayat

職業・肩書
バドミントン選手 アテネ五輪バドミントン男子シングルス金メダリスト

国籍
インドネシア

生年月日
1981年8月10日

出生地
バンドン

経歴
1997年15歳でバドミントンのインドネシア代表メンバーに選出され、’98年ブルネイオープンでツアー初タイトルを獲得。’99年17歳の若さで全英選手権の決勝進出を果たして注目を集める。その後、インドネシアオープンを6度制覇という快挙を達成。2000年シドニー五輪に出場し5位入賞。2004年アテネ五輪では金メダルを獲得。2005年世界選手権アナハイム大会で優勝し、男子シングルスの選手として初めて五輪と世界選手権の両タイトルを獲得した。2008年北京五輪17位、2012年ロンドン五輪9位。2013年現役を引退。変幻自在のショット、バックハンドから繰り出される多彩な攻撃が持ち味で、バドミントン王国インドネシアの国民的英雄として活躍した。愛称は“ベビーフェイス”。2011年東日本大震災の被災地支援チャリティーマッチのため来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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