タジク族(読み)タジクぞく(その他表記)Tājīk

改訂新版 世界大百科事典 「タジク族」の意味・わかりやすい解説

タジク族 (タジクぞく)
Tājīk

中央アジアのイラン系民族。ロシア語ではTadzhik。現在は,旧ソ連邦のタジキスタン,ウズベキスタン共和国などに約380万,アフガニスタン,イランなどに500万以上の人口を有している。歴史は,前2千年紀末から前1千年紀初頭にかけてユーラシア草原から中央アジアに移動・定着したイラン系諸族にさかのぼり,彼らは,ソグド,ホラズム,バクトリアのオアシス地方に独自の文化を築きあげた。タジクという語は,本来アラブの一部族を指した中世ペルシア語であったが,7,8世紀に上記の地方がアラブ・ムスリムによって征服され,土着のイラン系住民がイスラムに改宗すると,中央アジアのトルコ人は彼らをタジクと呼ぶようになり,やがて彼らもトルコ人に対して自らをタジクと称するにいたった。彼らの文章語であるタジク語は,9世紀に始まるマー・ワラー・アンナフル(トランスオキシアナ),ホラーサーン地方におけるイラン文化の復興運動のなかから生まれ,イランにおいて発展する近世ペルシア語と同様に,ルーダキー,フィルドゥーシーらに代表されるペルシア文学を古典としている。

 しかし,16世紀以後ウズベクの侵入に伴ってマー・ワラー・アンナフルのトルコ化が進むと,イランを中心とするペルシア語文化圏との関係は希薄になっていった。宗派も,イランのシーア派に対して,パミール地方のタジクがシーア派の流れに属するイスマーイール派であるほかは,ほとんどスンナ派に属していた。ウズベクの支配下にあって,タジク語はブハラ・ハーン国においては国家の公用語として用いられたが,ウズベク遊牧民の定着化が進むに連れてマー・ワラー・アンナフルのタジク定住民はしだいに南部の山岳地方に押しやられ,また,アム・ダリヤ以南,ヒンドゥークシュ山脈以北に住むタジクも19世紀末までにアフガンの支配下に入った。ロシア革命後西トルキスタンに成立したトルキスタン自治共和国の憲法では,タジクは土着の民族として認定されていなかったが,1924年自治共和国,29年に共和国の地位を獲得した。
タジキスタン
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のタジク族の言及

【アフガニスタン】より

…アフガニスタンは建国以来この民族が支配して現在に至っている。人口と勢力においてパシュトゥーン族に次ぐのがタジク族(構成比約30%)で,全国各地に住み,ペルシア語を母語とする。アフガニスタン・トルキスタンの主要な住民はウズベク族トルクメン族で,チュルク系の言語を用いる。…

【住居】より


【総説】
 住居の類語としては,すぐに住宅・住いがあげられる。住宅と住居を比べると,住宅のほうが人間のすみかとしての建物の側面を強く含意する。住い(すまひ)は〈すまふ〉の連用形の名詞化であり,当て字として〈住居〉を用いることがある。つまり住居と住いは一応同義ととらえてよいし,そこには住むという人間の能動的な営み,すなわち人の暮しが浮き出されている。《日本大辞書》(山田美妙著,1892‐93)によると,〈すむ〉には(1)居所を定める〈住む〉,(2)濁りがなくなる〈澄む(あるいは清む)〉,(3)事終わってすべて澄むの〈済む〉があてられており,《岩波古語辞典》では〈すみ(棲み・住み)〉は〈スミ(澄)〉と同根であり,あちこち動きまわるものが,一つ所に落ち着き定着する意とある。…

※「タジク族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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