小松(読み)コマツ

デジタル大辞泉 「小松」の意味・読み・例文・類語

こまつ【小松】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「小松」姓の人物
小松耕輔こまつこうすけ
小松左京こまつさきょう
小松茂美こまつしげみ
小松帯刀こまつたてわき

こまつ【小松】[地名]

石川県南部の市。機械工業が盛ん。また、絹織物九谷焼の産地。観光地として安宅あたかの関跡・粟津温泉などがある。人口10.8万(2010)。

こ‐まつ【小松】

小さい松。若い松。

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精選版 日本国語大辞典 「小松」の意味・読み・例文・類語

こ‐まつ【小松】

[1] 〘名〙
① 小さい松。また、松のことを親しんでいう。若松。
常陸風土記(717‐724頃)香島・歌謡「いやぜるの安是(あぜ)の古麻都(コマツ)に木綿(ゆふ)(し)でて我を振り見ゆも安是子し舞はも」
※俳諧・春の日(1686)「舟々の小松に雪の残けり〈旦藁〉」
② 江戸時代、下級の遊女、端女郎(はしじょろう)の異称。
※浮世草子・好色床談義(1689)五「かへ名をけちとも、〈略〉端とも、小松とも」
[2] 石川県南西部の地名。天正四年(一五七六)一向一揆(いっこういっき)の首領若林長門の小松城築城にはじまり、江戸時代は前田利常の産業育成で発展。九谷焼、畳表の伝統的産業とともに絹織物、機械工業も発達。北陸本線が通じ、また、小松空港がある。安宅(あたか)関跡、粟津温泉などがある。昭和一五年(一九四〇)市制。

こまつ【小松】

姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「小松」の解説

小松
こまつ

浮田うきた庄の内で、小松方とよばれた。元応二年(一三二〇)一〇月一〇日の某置文案(「伺事記録」裏文書)浮田庄のうち「こまつかた」とみえ、鷹司姫御前とみられる人物から奈良興福寺東北院覚深(公寿の弟子か)に譲与されている。宇佐大宮司宇佐公通の娘で西園寺家の支流清水谷家に嫁した清水谷禅尼は、これより前の正応四年(一二九一)二月一七日に鷹司姫御前に浮田庄を譲り、半分を一期分として興福寺の公寿に譲っている。公寿の死後は本庄(本所)に返却することになっていたが、「さがミのかうの殿」(相模守殿)の祈り供料に京上分一五〇石を公寿が定めた弟子に沙汰し渡すことを定めた(「清水谷禅尼置文案」同文書)。元応二年の譲与はこれを受けたものとみられ、前掲置文案によると、譲与とともに本所の年貢も小松方から出すこととした。

小松
こまつ

現福岡市域にあったとみられる中世の地名。弘安九年(一二八六)一〇月日の薩摩新田宮石築地用途支配状案(旧記雑録/鎌倉遺文二一)に「筥崎小松州崎石築地」とみえる。文永の役後、鎌倉幕府は再度のモンゴル軍の襲来に備え博多湾沿岸に石築地を築くこととした。筥崎はこざき(箱崎)地区は薩摩国の担当で、同地区にあったとみられる小松や州崎すさきにおける石築地の築造費用が薩摩国新田につた(現鹿児島県川内市)領の市比野いちひの(現同県樋脇町)などに一町あたり約一一四文の割合で賦課されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「小松」の意味・わかりやすい解説

小松[市] (こまつ)

石川県南西部の市。1940年市制。人口10万8433(2010)。市の南東部は白山山系の連なる丘陵,山岳地帯であり,西部は加賀平野の一部をなす。市街地は梯(かけはし)川流域の沖積平野に立地する。その東側を国道8号線と1897年開通のJR北陸本線が,また海岸沿いに北陸自動車道が縦貫するほか,北陸鉄道が鵜川遊泉寺まで通じる(1986年廃止)。江戸前期に金沢藩3代藩主前田利常の隠居城となり,城下町の整備,加賀絹,小松表,製茶,瓦生産の保護奨励が行われ,市発展の基礎が築かれた。機械工業が盛んで市の製造品出荷額の50%(1995)を占め,1916年創立の世界的なブルドーザーメーカー小松製作所の企業城下町的な性格を持つ。繊維では小松綸子(りんず)のほか化繊,合繊の生産も伸び,撚糸業は基幹産業の一つである。西端に近く粟津温泉があり,海岸の安宅関跡とともに観光客でにぎわっている。第2次世界大戦中砂丘を開いてつくられた小松空港が北陸地方の空の玄関の役割を果たしており,北陸自動車道小松インターチェンジがある。
執筆者:

地名の初出は15世紀末。16世紀初頭には〈本折(もとおり)・小松之城〉と称される砦や町があったとされ,1600年(慶長5)小松城城代となった前田長種は城下町の育成を行ったといわれるが,いずれも明らかでない。39年(寛永16)前田利常が,小松城に隠居するに際し,家臣164人を城下に居住させたことから,本格的な城下町となり,小松町奉行が置かれ,町役負担の本町(ほんまち),地子銀を納める散町(ちりまち)の区分もできた。59年(万治2)には町人戸数1200戸,人口6000人を数えたという。1658年利常が没したあと,家臣のすべてが金沢に引き揚げた。このため,古くからの絹布生産を主産業とした商工業都市に転換し,今日の繊維工業都市への引き金となった。なお,当時の絹は加賀絹と称され京都商人に引き取られた。
執筆者:

小松(愛媛) (こまつ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小松」の意味・わかりやすい解説

小松
こまつ

愛媛県東部,西条市中央部の旧町域。道前平野の南西部から石鎚山脈の北斜面に位置し,南に四国最高峰の石鎚山 (1982m) を望む。 1898年町制。 1955年石根村,石鎚村の2村と合体。 2004年西条市,東予市,丹原町と合体して西条市となった。中心集落の新屋敷は江戸時代に一柳氏1万石の城下町として発展したところで,現在も藩校跡や武家屋敷跡が残る。古来,愛宕柿の産地として有名であるが,1960年頃からはミカンの栽培も発達。四国八十八ヵ所第 60番札所の横峰寺,第 61番札所の香園寺,第 62番札所の宝寿寺があり,香園寺は子安観音として有名。法安寺跡は飛鳥時代のもので国の史跡。南部は石鎚国定公園に属する。

小松
こまつ

山口県南東部,大島の北西端にある旧町域。 1952年屋代村と合体して大島町となり,2004年には全島が周防大島町となる。島の門戸をなす小松港があり,かつては島内バス交通の起点であった。大島商船高等専門学校がある。湾岸に近世からの塩田があったが現在はクルマエビ養殖池に利用。北部に本土の柳井市と結ぶ大島大橋が完成し,港の機能に取って代わった。

小松
こまつ

山形県南部,米沢盆地西部犬川の谷口に位置する川西町の中心集落。近接地域に古墳,中世期以来の館堀をめぐらした農家がある。銘酒の産地で,旧城址のダリア園を訪れる観光客が多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小松」の解説

小松 しょうしょう

?-? 南北朝時代の医師。
文和(ぶんな)(1352-56)のころの人。後光厳(ごこうごん)天皇の病気を治療し,法印となる。通称は悲阿弥。

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