ツェデンバル(読み)つぇでんばる(英語表記)Yumzhagiin Tsedenbal

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツェデンバル」の意味・わかりやすい解説

ツェデンバル
つぇでんばる
Yumzhagiin Tsedenbal
(1916―1991)

モンゴルの政治家。ウプサ・ノール・アイマク遊牧民の家に生まれる。1931年革命青年同盟に加盟。1938年財政経済専門学校卒業、すぐに大蔵次官となる。1939年人民革命党に入り、同年蔵相。1940年党中央委員、書記長。1941~1945年軍副総司令官兼政治部長、中将。1945年副首相兼国家計画委員会議長。1952年チョイバルサンの死によって36歳の若さで首相となる。1958年親中派を抑え親ソ派として党第一書記。1974年人民大会幹部会議長(元首)。1981年党書記長。元帥。1984年、全役職を解任された。

[高市恵之助]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツェデンバル」の意味・わかりやすい解説

ツェデンバル
Tsedenbal, Jumžagijn

[生]1916. ウブスクル
[没]1991.4.20. モスクワ
モンゴル人民共和国の政治家。ソ連に留学後,ウラーンバートルの財政専門学校講師を経て,1939~52年大蔵大臣。 1952年 K.チョイバルサン死去後首相となり,1958年からモンゴル人民革命党第1書記 (1981年から書記長) を兼任。国際派 (親ソ派) の指導者で,親ソ路線を推進,中ソ対立の進行につれ民族派 (中国派) の党幹部多数を追放した。 1984年党書記長を解任,1989年末以来の民主化の波を受け,1990年3月人民革命党中央委員会で党籍を剥奪された。

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