牧畜の一種である遊牧に従事する人々。サハラ,エジプトからアラビアに至り,黒海,カスピ海,アラル海北岸からカザフスタン,ジュンガル高原をへてモンゴル高原に達する乾燥砂漠,草原地帯に分布する。遊牧とは,その主要財産である家畜(羊,ヤギ,馬,ラクダ,牛を五畜と呼ぶ)を放牧しつつ住居(天幕),家財とともに,夏営地と冬営地との間を移動する牧畜形態。通常は集団ごとに一定の領域を持ち,家畜の出産管理技術を持つが,自然状況に左右されるきわめて不安定な生産形態であるため,富の蓄積にもとづく生産力の向上には一定の限度がある。したがって交易と,略奪軍事力としての馬が重視されたほか,古い社会集団である氏族が長い間温存され,そのうえに形成される社会,国家にも古い血縁的要素がつきまとった。史上最も活躍したのはトルコ,モンゴル,アラビアの遊牧民である。しかし今日では,いずれも定住化の傾向にあり,遊牧民は急速に少なくなって国家や周辺地域への影響力を失っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…このことはウマル1世の用いたカリフの称号がムスリムたちのアミール(アミール・アルムスリミーン)でなく,ムーミンたちのアミール(アミール・アルムーミニーン)であったことによく示されている。コーラン49章14節に,〈遊牧民たちは“我々は信じるāmannā”と言っている。言ってやれ,“お前たちは信じていない。…
…また,排水設備の不十分な灌漑が行われた際の塩類化などがその例である(砂漠化防止については〈国連環境計画〉の項を参照)。乾燥地形【赤木 祥彦】
【生活と文化】
都市や農村の生活は自然を克服して成り立つのに対して,遊牧民のそれは,自然に従属したものと考えられがちである。だが定住を許そうとしない過酷な自然条件の下で,家畜を伴って分け入り,人間の可住空間をきり開き拡大したこと自体,遊牧の民が見せる人間の知恵と適応力のすばらしさ,たくましさを示す何よりの証拠と言えよう。…
…この極度の乾燥地帯である中央アジアで,人間が居住できたのは,南部の,ときに〈砂漠の中の島〉にたとえられるオアシスと,北部の広大な草原地帯,それに天山,ヒンドゥークシュなどの山々に点在する山間牧地に限られた。このうち,南部のオアシス地帯の住民が農耕定住民であったのに対し,北部の草原地帯と山間牧地の住人は遊牧民であった。すなわち中央アジアには,その地理的条件に対応して,北部の遊牧民と南部の定住民という,まったく生活様式を異にする2類型の人びとが居住しており,その意味では,中央アジアを〈草原とオアシスの世界〉とも呼ぶことができる。…
…このような麦作の状態では,パンはとうてい主食になりようがなかった。 ただし,遊牧民族にせよヨーロッパ人にせよ,昔はなかなか肉食できなかった。牛や羊は1回に1頭しか出産しないし,とくに牛の場合,草だけで飼育すると,食べごろになるのに5~6年もかかる。…
…アラブ系遊牧民を指す。ベドウィンという呼称は,アラビア語の〈バドウbadw(バダウィー(男性形単数),バダウィーヤ(女性形単数))〉という語が,フランス人によりなまって発音されたのが始まりとされている。…
…森林は陰山山脈の北斜面のほか,モンゴル北部の山岳地帯に発達している。
[歴史]
モンゴリアは遊牧民揺籃(ようらん)の地といわれるように古くから遊牧民族の活動舞台であった。その中でモンゴリアを初めて統一したのは匈奴である。…
…彼らは季節的に夏営地と冬営地を往復するため,少なくとも一方の住地に定住家屋をもち,他を出先地としてキャンプ住いしているのが一般である。 これに対し遊牧民というのは一所不定住,草を求めて不定期に移動するものを典型とする。当然彼らはテントなど移動住居をもって生活する。…
※「遊牧民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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