ツンフト闘争(ツンフトとうそう)
Zunftkämpfe
西欧中世都市の商工業者が組織した相互扶助と相互規制のための仲間団体である同職組合は,ギルド(ドイツではツンフト)と呼ばれている。12世紀以来もっぱら富裕な商人ギルド(都市貴族)のメンバーにより支配されていた市政(都市参事会)への参加権をめぐって,13世紀末から手工業ギルドの親方たちが行った政治的闘争がツンフト闘争である。その結果,14世紀の間には,ドイツやネーデルラントの諸都市で手工業ギルドの親方が市政に一定の位置を占めるようになった。ツンフト闘争の参加者には都市下層民も含まれていたが,その主導者はほとんど常に肉屋などの有力な手工業親方であった。しかし,そうした一連のツンフト闘争は市政の「民主化」を部分的に進めたにすぎず,大部分の都市では,依然として有力商人(都市門閥)層による寡頭体制が継続された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のツンフト闘争の言及
【ギルド】より
… 商人にならってやがて手工業者のギルド(ドイツではとくに商人ギルドと区別してツンフトとよぶ)も各職種ごとに数多く結成され,13世紀以降商人層が都市内で市参事会を独占してゆく傾向が生ずると,これらの[手工業ギルド]が市政参加の運動を起こした。それがツンフト闘争とよばれる運動である。この頃ギルド内でも親方Meister,職人Geselle,徒弟Lehrlingの階層([徒弟制度])が生まれ,技術水準の維持が計られると同時に職人も兄弟団を結成し,親方に対抗する姿勢をとり始めた。…
【市参事会】より
…参事会員の資格については,当初明確な規定がなく,通例参事会自身による自己補充によって少数の門閥家族([都市貴族])に占められていた。14世紀以降南ドイツの諸都市では,いわゆるツンフト闘争Zunftkampfを経て手工業者が参事会に進出し,あるいは別個の大参事会を併置することで市政への参加ないし掌握をとげる(ツンフト支配体制)という変遷をみた。他方北ドイツでは,門閥による参事会員資格と市政の独占が19世紀にいたるまで存続した。…
【商人ギルド】より
…しかしこうした中で,富裕商人の寡頭専制支配が形成されるようになり,手工業者層との利害の対立が生じた。このため14世紀には,大陸では〈ツンフト闘争〉といわれる寡頭的商人支配に対する手工業者の闘争によって,またイギリスではなしくずし的に,職業的に組織された[手工業ギルド]に移行し,商人ギルドは崩壊した。[ギルド]【坂巻 清】。…
【都市貴族】より
…中世末期にはこの傾向がさらに進展し,騎士と上層市民との通婚,多くの市民の子弟の司教,聖堂参事会員への就任,都市貴族の受封能力獲得,宮廷官職への進出も目だつようになった。都市貴族の寡頭政支配は,南ドイツなどでは,14世紀の手工業職人の政治参加を求めるいわゆるツンフト闘争によって一部制限され,また近世領邦諸国家の発達にともなって大幅に限定されていった。なおパトリツィアートとかパトリツィアーPatrizierという呼称は,むしろ近世になってからの呼称であり,中世では単にゲシュレヒターGeschlechter(門閥)ないしエルプビュルガーErbbürger(草分け市民)と呼ばれていた。…
【フランクフルト・アム・マイン】より
…しかし,市民間の貧富の差は拡大し,新たな問題を生んだ。1355年以降富裕な門閥商人の寡頭市政に対し,毛織物工をはじめとする手工業者は,抗議行動を繰り返した(〈ツンフト闘争〉と呼ばれる)。1462年市内のユダヤ人は,ノイシュタット市区への集団移住を命ぜられ,旧市壁の外側にシナゴーグを中心とするユダヤ街が生まれた。…
※「ツンフト闘争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」