デケバルス
Decebalus
[生]?
[没]106
古代ローマ時代のダキア人の王 (在位 85~106) 。デケバルとも呼ばれる。諸部族を統合して強盛になり,85年モエシアのローマ総督を倒し,86/7年コルネリウス・フスクス麾下のローマ軍を撃破。 88年タパエの戦いで敗れたが,幸運にもゲルマン族の侵入によってローマの追撃を免れ,和議を結んだ。 101年トラヤヌス帝の攻撃で首都を奪われて休戦。 105年再度ローマ占領軍を攻撃し,モエシアに侵入したが,トラヤヌス帝に敗れ,自害した。この結果ダキアはローマ属州となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のデケバルスの言及
【ダキア】より
…ゲタエ族,ダキア族が諸部族に分かれて住み,農耕を営んでいたが,トラキアがローマの支配下にはいると,前60年ころ首長ブレビスタBurebistaが諸部族を統合する国家をつくった。ローマ軍の侵略に,王デケバルスDecebalusは頑強な抵抗ののち敗れ,106年ダキアはローマの属州となった。トラヤヌス帝はローマ市に戦勝記念柱を建て,戦争の状況を浮彫にきざんだ。…
【ローマ】より
… アントニヌス朝時代を通じ,トラヤヌス治下を除いては領土の拡大はほとんどなかった。彼は2回のダキア戦争(101‐102,105‐106)によってデケバルス王を破りダキアを属州に加えた。東部では彼はアラビア(ナバテア)を加え,ペルシアからアルメニア,メソポタミア,アッシリアの諸州を奪って国境をユーフラテス川の東にまで広げたが,次のハドリアヌスは征服政策を捨てユーフラテス川の線にまで後退した。…
※「デケバルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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