日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダキア」の意味・わかりやすい解説
ダキア
だきあ
Dacia
古代ローマの属州。ヨーロッパ南東部、ドナウ川下流湾曲部の北岸の地域。おおよそ現在のルーマニアにあたる。ダキア人は農耕民族で、紀元前4世紀にケルト文化を吸収し、カルパティア山脈の金・銀・鉄の鉱山を開発、前300年ごろからギリシア人と、前2世紀からはイリリクムのギリシア人諸都市やイタリア商人とも交易した。主要な輸入品はワインであった。分裂していたダキアの諸部族は前60年ごろブレビスタスBurebistasにより統一され、彼のもとでケルト人やイリリア人を征服してローマの属州マケドニアを脅かすまでになったが、彼の死後内部抗争により力は衰えた。紀元後1世紀末にデケバルスDecebalusのもとで軍事力は再興。ローマによるダキア征服はトラヤヌス帝の二度にわたるダキア戦争(101~102、105~106)により行われた。この戦争の模様はローマにあるトラヤヌスの記念柱に彫られている。イリリクムや東部諸属州からの人口流入で都市が発展したが、3世紀中ごろのゴート人の侵入の結果、アウレリアヌス帝は270年ごろダキアを放棄。4世紀にはダキアという名称はドナウ川下流南岸沿いのローマの属州名として使われた。
[市川雅俊]