日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥルーン朝」の意味・わかりやすい解説
トゥルーン朝
とぅるーんちょう
ūlūn
アッバース朝よりエジプトに派遣されたトルコ系軍人アフマド・イブン・トゥルーンが、868年に創始した王朝(868~905)。エジプト、シリアを支配した。アフマド・イブン・トゥルーンは奴隷軍人からなる強力な軍隊を基礎として支配を固め、農業や商業を振興してエジプトの経済力を発展させることに努めた。現在もカイロに残るイブン・トゥルーン・モスクの壮大な建物が当時の繁栄を物語っている。アフマド・イブン・トゥルーンの後を継いだ息子のフマラーワイフの時代に、アッバース朝は巨額の朝貢の見返りとして、エジプト、シリアに加えて東アナトリア、ジャジーラ地方(イラク北西部とシリア北東部を含むステップ地帯)の一部に至る地域の支配権を公認した。しかし宮廷の奢侈(しゃし)と軍事費の増大はトゥルーン朝の財政を悪化させ、国力は衰退した。シリアにおけるカルマット派の反乱を鎮圧できずに手を焼いているのをみて、アッバース朝は軍を派遣し、シリアを征服し、引き続き弱体化したトゥルーン朝の軍を追ってエジプトに入り、905年にトゥルーン朝を滅ぼした。
[湯川 武]