モスク(読み)もすく(英語表記)mosque

翻訳|mosque

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスク」の意味・わかりやすい解説

モスク
もすく
mosque

イスラム教徒礼拝所。アラビア語のマスジッド(跪拝(きはい)する所の意)が、スペイン語のメスキータを経て、英語のモスクとなった。とくに金曜日の正午の集団礼拝に使われる大モスクは、マスジッド・アルジャーミー(金曜日モスク。略してジャーミーともいう)とよばれる。また後の時代になると、学校、病院、宿舎、王や聖者の墓を伴った建築物も多くなり、礼拝所の機能とともに、教育・社交の場ともなった。

 コーランではすでにメッカ聖域が「聖モスク」(マスジッド・アルハラーム)とよばれている。伝承によると、ムハンマドマホメット)はメディナへの移住(ヒジュラ)ののち、ただちに集団礼拝の場としてモスクを建てたといわれる。このモスクは、ムハンマドと彼の妻たちの住居の一部であり、これが現在の預言者モスク(マスジッド・アルナビー)の元である。メッカの聖モスク、メディナの預言者モスクは現在でも、エルサレムのアクサー・モスクとともにイスラムの三大聖地とみなされている。

 アラブの大征服に際しては、各軍営都市にモスクが建てられた。初期のモスクのうち、現在でも当時の形を比較的伝えているものに、ダマスカスのウマイヤ・モスクやカイラワーンのシーディー・ウクバ・モスクなどがある。

 礼拝の場という機能は共通であるが、建築様式として定められた規則はないので、時代・地域によりモスクの外見には大きな差異がみられる。おもな様式には、シリア・エジプト型、マグレブ・スペイン型、イラン型、オスマン型、インド型などがある。

 モスクは普通、礼拝の呼びかけ(アザーン)を行うミナレット尖塔(せんとう))、礼拝の前の浄(きよ)め(ウドゥー)を行うための水場を備えている。また内部にはキブラ(礼拝の方向)を示すミフラーブとよばれる壁龕(へきがん)、ミンバルとよばれる説教壇などがあり、床にはカーペットが敷き詰められている。モスク内には祭壇のようなとくに聖なる場所はない。ミフラーブがモスクの中でもっとも装飾される場所である。しかし、イスラム教では図像表現が禁止されているので、モスク内の装飾は図案化されたアラビア文字やアラベスク文様である。

[竹下政孝]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モスク」の意味・わかりやすい解説

モスク
mosque

イスラム教徒が唯一神アッラーに対する礼拝を行うための施設。アラビア語でマスジド (ひれ伏すところ,礼拝所) という。聖日 (金曜日) の集団礼拝が催される各都市の中央モスク,あるいはそれに匹敵する大規模なモスクをジャーミ (会衆礼拝所) などと呼ぶ。モスクの著しい特色はその非祠堂的性格で,偶像はもちろん神祠,内陣,祭壇の類も備えない。礼拝は常に聖地メッカのカーバ神殿に向って行われるので,モスクは中軸線がメッカの方角 (→キブラ ) へ向くように建てられる。建築の基本形式は7世紀末ないし8世紀初頭に成立。すなわち,長方形のサハン (中庭) を囲んでキブラ側の1辺に礼拝室,他の3辺に回廊を設け,外側を周壁で閉じる。礼拝室の奥壁中央部にキブラの表象たるミフラーブ (壁龕) を付し,その向って右脇にミンバル (説教壇) を置く。また中庭内あるいは出入口付近に礼拝者が身を清めるための泉水を設け,周壁沿いに礼拝への参集を呼びかけるためのミナレット (高塔) を建てる。初期のモスクは概して低平な建築が多かったが,12,13世紀以降,礼拝室の中央部に巨大なドームを架したり,中庭の四方にイーワーン (前面開放型広間) を設けたり,門を構えたりするようになった。初期には1基と限られていたミナレットも,この頃から2基1対の形式をとるものがふえ,やがて4基,6基建てるモスクも現れた。歴史上最も壮麗なモスクが建設されたのは 16,17世紀,オスマン帝国,サファビー朝イラン,およびムガル朝インドにおいてであった。

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