湯川(読み)ゆかわ

精選版 日本国語大辞典 「湯川」の意味・読み・例文・類語

ゆ‐かわ‥かは【湯川】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( 「ゆかわあみ(沐浴)」からかという ) 湯や水を浴びること。ゆあみ。
    1. [初出の実例]「湯かははせず、髭剃らず」(出典:浄瑠璃・姫小松子日の遊(1757)三)
  3. 温泉の湯が流れている川。
    1. [初出の実例]「わき出づる湯川のすゑもこほりけり夜風やさえし塩原の里」(出典:萩之家遺稿(1904)〈落合直文〉)

ゆかわゆかは【湯川】

  1. 姓氏一つ

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日本歴史地名大系 「湯川」の解説

湯川
ゆかわ

浅間山(二五四二メートル)碓氷うすい連峰を連ねる上信国境山地を水源とする川。本流白糸しらいとの滝(現軽井沢町)から流下し、油井ゆい(現軽井沢町)付近でどろ川を併せ、更に発地ほつち川・茂沢もざわ川を併せて現御代田みよた町南部から佐久市に入り、現岩村田いわむらだの東南を巡って落合おちあい(現佐久市)付近で千曲川に合流する。延長三五キロ。

流域には茂沢(現軽井沢町茂沢)豊昇ほうしよう(現御代田町豊昇)横根よこね(現佐久市横根)近辺の縄文遺跡、下流に弥生遺跡や古墳群がみられ、また「延喜式」の官道以前の古東山道は、下県しもがた(現佐久市下県)辺りで千曲川を渡り、湯川沿いに碓氷坂(現軽井沢町入山いりやま峠)へ出たものと考えられている(北佐久郡志)

中世初頭木曾義仲の軍に属した根井ねのい氏・落合氏の居館はこの下流にあり、中世を通じて佐久の一大勢力であった大井氏の本拠大井城(おう城・石並いせならび城・黒岩くろいわ城、現佐久市岩村田)や支族岩尾いわお(現佐久市岩尾)もこの川の流域断崖上にある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯川」の意味・わかりやすい解説

湯川(村)
ゆがわ

福島県西部、河沼郡(かわぬまぐん)の村。1957年(昭和32)笈川(おいかわ)、勝常(しょうじょう)の2村が合併して成立。JR磐越西(ばんえつさい)線、国道49号、121号が通じる。会津盆地の中央にあり、北部を日橋(にっぱし)川、西部を大川に限られる。典型的な水田単作地帯であるが、メロンキュウリのハウス栽培、花卉(かき)栽培、畜産も行われる。小規模な工業団地が造成されたが、村外への通勤者が多い。役場所在地の笈川は米沢(よねざわ)街道に沿う街村。勝常にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の勝常寺には国宝の木造薬師如来(にょらい)および両脇侍(わきじ)像をはじめ、薬師堂など多くの国指定重要文化財がある。面積16.37平方キロメートル、人口3081(2020)。

[安田初雄]

『『湯川村史』全4巻(1985~1999・湯川村)』


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改訂新版 世界大百科事典 「湯川」の意味・わかりやすい解説

湯川[村] (ゆがわ)

福島県北西部,河沼郡の村。人口3364(2010)。会津盆地中央部,阿賀川(大川)と日橋(につぱし)川の合流点付近に位置し,標高180m前後の平たん地からなり,県下有数の水田地帯となっている。近年は就業者の減少が著しい一方,経営の多角化が進んでいる。中心集落は旧米沢街道沿いの笈川(おいかわ)。JR磐越西線が通り,南の会津若松市と結ばれている。西部の勝常(しようじよう)にある勝常寺は平安時代初期,徳一の開基と伝えられ,会津五薬師の一つで,会津盆地のほぼ中央にあたることから〈会津中央薬師〉とも呼ばれる。薬師堂(重要文化財)内には,本尊薬師如来座像など12体の仏像があり,東北地方にはまれな平安時代文化の宝庫として有名である。
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