ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「にせドミトリー2世」の意味・わかりやすい解説
にせドミトリー2世
にせドミトリーにせい
Lzhedmitrii II
[没]1610.12.21. カルーガ
ロシアの僭主。にせディミトリー2世とも表記される。にせドミトリー1世の暗殺後,名門貴族のワシーリー・シュイスキーがツァーリに選ばれたが,ロシア国内は反乱が絶えなかった。 1606年の I.I.ボロトニコフに率いられた農民反乱のあと,07年には第2のにせドミトリーが現れて,モスクワ目指して進撃した。彼は前年殺されたにせドミトリー1世が,実は危うく難を逃れてロシアから脱出したのだと主張し,多くのポーランド貴族やコサックの支持を受け,軍をモスクワ郊外のツシノに進出させた。一時退却したが,10年7月再びモスクワを攻撃,敗れてカルーガに逃れ,この地で殺された。
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