15~16世紀以降のロシアの君主をさす言葉。日本では英語のczarにより,ツァーともいう。ロシア語ではほかにバビロニア,ローマなどの古代国家や東方諸国の君主をさすのにも使われ,この場合にはヨーロッパ諸国の国王をさすコローリとほぼ同義である。ツァーリは語源的には古代ローマのカエサルCaesarのくずれた形で,これは直接西方からロシア語に入ったという説と,ビザンティウム(ギリシア語)・バルカン(ブルガリア語)経由説とがある。バルカンでは中世ブルガリアの君主が10~14世紀に,またセルビア王ステファン・ドゥシャンが1346-55年にこの称号を使用し,のちのブルガリア王国(1908-46)の君主もこれを正式の称号とした。
ツァーリは中世ロシアでは最高の主権者という意味でビザンティン皇帝をさしたが,〈タタールのくびき〉のもとではキプチャク・ハーンにも使われ,その使用はやがて同じタタール系のカザン・ハーンなどにも及んだ。ロシアの君主ではイワン3世がリボニア騎士団との交渉でツァーリを称したのが最初であるが,その公的使用はなおしばらくは限られていた。モスクワ大公がタタールに代わるロシア平原の支配者として現れ,西方の神聖ローマ皇帝との対等意識もめばえた15世紀末~16世紀初め,〈双頭の鷲〉の紋章や,ウラジーミル・モノマフがビザンティン皇帝から受領したとされる王冠〈モノマフの帽子〉が使われはじめ,大公家の系譜をローマ皇帝アウグストゥスにさかのぼらせる伝承も生まれ,イワン4世が1547年,最終的にツァーリをその公的称号に取り入れた。これには,当時モスクワ大公の権威の強化を望んでいたロシア教会の働きかけもあり,ツァーリは神意による地上の最高・絶対の統治者で専制君主とされた。1721年ピョートル1世がインペラートル(皇帝)を正式の称号としたが,この君主観はその後も,ツァーリの呼称の慣習的使用とともに変わらず,ツァーリの専制権力とその家父長的支配を意味するツァーリズム(ロシア語ではツァリーズム)の観念もそこから生まれた。きびしい自然条件と地主や役人の収奪に苦しむ民衆(ナロード)は〈神は高く,ツァーリは遠し〉としながら,全能の君主に対する期待から,早くに〈父なるツァーリ〉という観念を生み,すでに17世紀はじめのスムータ(動乱時代)で偽ドミトリーが現れたが,その後もプガチョフの乱をはじめ多くの機会に僭称者(せんしようしや)や偽勅書が出て,民衆の期待を集めた。またツァーリの意向は地主や役人に阻まれて民衆には伝えられていないともされ,農奴解放のときにも多くの農民が,皇帝による完全な解放を信じ続けた。この〈ツァーリ幻想〉は血の日曜日事件などによっても完全には消えず,第1次世界大戦中の陣中にも戦後のツァーリによる土地支給のうわさが流れた。一方,貴族や官僚も,ツァーリの決断に最後の期待をかける思考様式を革命までもち続け,ツァーリ自身も最終決定権を常に留保したので,ツァーリズムには,その制度化・官僚化の進展にかかわらず,絶対主義的専制支配の一面が最後まで残った。
→モスクワ・ロシア →ロシア帝国
執筆者:鳥山 成人
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皇帝の意。ツァーtsarともいう。ラテン語のカエサルcaesarに由来し、15、16世紀からロシア革命までのロシアの君主をさす称号。中世ロシアでは、完全な独立国の君主を意味し、正式にはビザンティン帝国皇帝とキプチャク・ハン国のハンにのみ適用した。キプチャク・ハン国から独立して完全な主権を掌握したイワン3世が初めてこの称号を用いたが、常用語ではなく、普通「大公」ないし「ゴスダリ」(君主の意)の称号を用いた。この称号を正式に採用したのは、1547年イワン4世(雷帝)が即位したときからであり、以後ロシア君主の主たる公式称号となった。イワン4世がツァーリを称したのは、主権国家たる権威を内外に示すことと、独裁君主の性格を強調するためであった。1721年ピョートル1世(大帝)が正式に「インペラートル」(皇帝の意)の称号をとったあとも、慣用的にロシア皇帝は「ツァーリ」とよばれた。ブルガリアでも10世紀から14世紀に国王の正式称号として「ツァーリ」が用いられた。
[伊藤幸男]
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ロシア皇帝の公式の名称。ラテン語のカエサル(caesar),すなわちツェーザリ(tsezar'ローマ皇帝の称号)から出た。ロシアでは1547年イヴァン4世のときから使われ,1721年以降イムペラトルとも併用された。
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…(2)caesarは本来ラテン語の家名でありながら,アウグストゥス以来皇帝を意味する称号となった。ここから,ゲルマン語では,たとえば現代ドイツ語のカイザーKaiserが,スラブ語でも,たとえば現代ロシア語のツァーリtsar’が生まれた。tsar’称号もまた,imperator称号と同じく中世でビザンティン帝国のbasileus称号と等置されたが,そのtsar’称号を,920年代にはブルガリア人シメオン1世が(先行ブルガリア人支配者の称号khan=汗にかわって),1346年の戴冠式にはセルビア人ステファン・ドゥシャンが(kralj称号にかえて),1547年の戴冠式にはロシア人イワン4世が(先行支配者たちが最初に帯びていたknyaz’(公)称号,のちに帯びるようになったvelikii knyaz’(大公)称号の代りに),それぞれとなえたのは,いずれも,ビザンティン帝国の標榜する世界皇帝理念に対するみずからの態度表明としてであった。…
…(2)caesarは本来ラテン語の家名でありながら,アウグストゥス以来皇帝を意味する称号となった。ここから,ゲルマン語では,たとえば現代ドイツ語のカイザーKaiserが,スラブ語でも,たとえば現代ロシア語のツァーリtsar’が生まれた。tsar’称号もまた,imperator称号と同じく中世でビザンティン帝国のbasileus称号と等置されたが,そのtsar’称号を,920年代にはブルガリア人シメオン1世が(先行ブルガリア人支配者の称号khan=汗にかわって),1346年の戴冠式にはセルビア人ステファン・ドゥシャンが(kralj称号にかえて),1547年の戴冠式にはロシア人イワン4世が(先行支配者たちが最初に帯びていたknyaz’(公)称号,のちに帯びるようになったvelikii knyaz’(大公)称号の代りに),それぞれとなえたのは,いずれも,ビザンティン帝国の標榜する世界皇帝理念に対するみずからの態度表明としてであった。…
※「ツァーリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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