ニネベ遺跡(読み)ニネベいせき(その他表記)Nineveh

翻訳|Nineveh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニネベ遺跡」の意味・わかりやすい解説

ニネベ遺跡
ニネベいせき
Nineveh

イラク北部,クユンジクにあるアッシリア帝国の遺跡。チグリス川をはさんでアルマウシルと相対している。 1842~55年フランスの探検隊が調査し,45~1932年イギリスの A.レイヤード,L.キング,C.トンプソンらが発掘を行なった。クユンジク丘は城壁と城門で防御され,センナケリブの南西宮殿アッシュールバニパルの北宮殿,その南にイシュタル神殿とナブ神殿が建てられていた。宮殿の壁面には王の治績を示す浮彫楔形文字が刻まれており,『瀕死ライオン』などの代表的な浮彫は,現在イギリスの大英博物館に所蔵されている。またアッシュールバニパルの図書館からは洪水伝説などを記す数万枚の粘土板が発見された。ニネベは前 612年,メディアと新バビロニア連合軍に攻略され,破壊された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む