アッシュールバニパル(読み)あっしゅーるばにぱる(英語表記)Ashurbanipal

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッシュールバニパル」の意味・わかりやすい解説

アッシュールバニパル
Ashurbanipal

アッシリア帝国の王 (在位前 669~630) 。高い教養を身につけ,祭政文芸,諸外国語に通じ,前 672年王子となり,積極的に内政,外交に敏腕を発揮。前 669年父エサルハッドンの跡を継いで即位し,エジプトに遠征。エジプト王タハルカの軍をナイルデルタ地帯から撃退したが,前 664~663年再び反乱を起したエジプトに進撃,メンフィステーベを破壊した (前 662) 。その後シリア諸国,メディアの反乱,兄でバビロンの封侯シャマシュ=シュム=ウキンの反乱などを平定し,晩年は比較的平穏な治世を迎えた。彼が後世に残した最大の業績は首都ニネベの王宮に古代近東では最初の大図書館を建設し,百般にわたる古文書 (タブレット) を収蔵したことである。 19世紀中頃に発掘されたその一部,二万余点のタブレットは大英博物館に保存され,貴重な史料となっている。芸術にも力を入れ,王宮の装飾,特に浮彫の技術は当時としては他に類例をみない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッシュールバニパル」の意味・わかりやすい解説

アッシュール・バニパル
あっしゅーるばにぱる
Ashurbanipal

生没年不詳。古代アッシリア世界帝国最盛期のサルゴン朝の最後の王(在位前668~前627?)。正しくはAššur-bāni-apliと表記する。父王エサルハッドンの残した世界帝国の維持に努めたが、紀元前655年エジプトを放棄。北方、東方ではキンメル人(キンメリア人)、マンナイ人、エラム人の侵攻に対して国境を守り、南方では兄のバビロニア王の反乱を鎮圧した(前648)。晩年にはリディア人やメディア人のために北・東交易路が脅かされたが、帝国の繁栄は維持された。王は楔形(くさびがた)文字に関する造詣(ぞうけい)が深く、首都ニネベの王宮内の図書館には膨大な神話、文学、語学などの文献を収集した。19世紀中ごろに発掘されたこれら楔形文字粘土板の大部分は大英博物館に保存されており、その数は2万点を超え、アッシリア学確立の基礎資料となった。同じ王宮の傑出した浮彫り装飾群はアッシリア美術の代表作の一つであり、王の鑑識眼を証明している。

山本 茂]

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