ネハーバンド(読み)ねはーばんど(その他表記)Nahāvand

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネハーバンド」の意味・わかりやすい解説

ネハーバンド
ねはーばんど
Nahāvand

イラン中西部のハマダン南方60キロメートルに位置する町。イラン高原とイラク北部を結ぶ交通の要所で、古来から戦場となった。とくに有名なのはアラブササン朝との戦いである。ササン朝ペルシア軍はカーディシーアの戦い(636)でアラブ軍に敗れ、首都クテシフォンが陥落した(637)。ササン朝最後の皇帝ヤズドガルド3世(在位632~651)は、イラン全土から15万人の兵士を集めてネハーバンドに集結した。アラブ軍は3万の少数であったが、ペルシア軍をおびき寄せ、10万人を殲滅(せんめつ)したといわれる(642)。ヤズドガルド3世はアラブ軍に追われてメルブ(現在のトルクメニスタンマリー)で暗殺され(651)、ここにササン朝は名実ともに滅んだ。この町の南東にフランスのコントノーとギルシュマンによって発掘された(1931~1932)先史時代の遺跡テペ・ギヤンがある。

[井本英一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネハーバンド」の意味・わかりやすい解説

ネハーバンド
Nehāvand

イラン西部のザグロス山中,ハマダーンの南約 60kmにある都市。 641年,この付近でアラブ=イスラム軍ササン朝軍に決定的敗北を与えたことで知られる。ササン朝期にはすでに重要な都市であり,イスラム期以降,特にサフラン集散地として知られる。

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