中央アジア,トルクメニスタンのマリMary東方30km,ムルガーブ川右岸にある都城址群を指して考古学ではメルブとよぶ。19世紀末に調査が一部おこなわれたのち,1950-60年代に部分発掘があった。いまエレク・カレとよぶ遺跡を中心に,前1千年紀中ごろから居住がはじまり,以後これを中心に都市は広大化し,パルティア時代にはニサの12倍という面積に達し,もっとも繁栄した。その遺跡はギャウル・カレであり,ササン朝を通じて居住が続いた。ギャウル・カレは発掘によると,ギリシア文化に傾いたパルティアの版図に属しながら,近隣のニサと異なってヘレニズムの様相がなく,もっぱら当地方の文化を宣揚している。また,1962年には全面丹塗の大ストゥーパや高さ75cmの大仏頭が出土,5~6世紀に当地まで仏教が伝わっていた証拠を示している。ただ仏典写本をいれた土器に描かれた多彩画は,ゾロアスター教のテーマを示し,この地方の複雑な信仰事情を物語っている。651年にアラブに征服されたのち,ホラーサーン総督の居所となり,一大中心地となった。9世紀になって都市はスルターン・カレに移ったが,ティムール朝下ではアブドゥッラー・ハーン・カレが中心となった。また15世紀以降バイラマリ・ハーン・カレがこれにかわり,1824年に現マリが建設されて,廃虚と化した。廃城中にはスルターン・サンジャル廟(12世紀),ムハンマド・ブン・ザイイド廟,ハージー・ユースフ・モスク(16世紀)が残っている。
執筆者:桑山 正進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
トルクメニスタン、マリー州の州都マリーの旧称。
[編集部]
…ホラーサーンは〈太陽khorの上る所〉を意味する。 かつてはマー・ワラー・アンナフル以南,アフガニスタンも含んでおり,メルブ,ヘラート,バルフもホラーサーンの主要都市であった。遊牧民の南下の通路にあたり古来しばしばその侵入を被った。…
※「メルブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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